2012年4月30日月曜日

お見舞い道中

2012年4月30日
本日、昼に実家を出て
高速乗らずに「甲州街道」まっしぐら。
行程42キロの地底の旅。

途中、ナビを眺めながら 頭の中では「甲州街道に出たら左折」と呪文の如く唱えてたのに
その甲州街道 突っ切っちゃって
私「え。。。。もしかして 今のが甲州街道?」
母「そうみたいね〜」
私「......判ってたなら 早く言えよ....」という事で
グルグル回ったり

とある分岐点、少し手前にあった標識に
左側「八王子」と書かれてあり、右側「八王子」と書かれてない という事で左に行ったら
ふと 目をやった右の道路の先の標識に、デカデカと書かれた「八王子」という文字。
左を走る私の目の前の標識には「旧甲州街道」とか書かれていて
「なんだぁーー 詐欺だぁーー」と 思わず文句たれ

旧甲州街道の道の なんと狭い事!
そして、なんと自転車の多い事!
まるで 蚊柱の如く、自転車に乗った有象無象の群れに恐れをなし
早々に右折して 「本 甲州街道」に戻った。が
「やっぱり広い道の方がいいわよ」なんて偉そうにのたまう母に 「ムカチン!!」


とてつもなく遅い軽トラの後ろに付いちゃったり
「@@、右折」の標識を信じて右側車線走ってたら 車線なくなった とか
少しは色々あったけど、別段 事故も怪我もなく 
高速であれば「1時間内」のところ、1時間半弱で病院に着きました。

ICU ではなく HCU というところ。
何人も患者さんがいて、面会出来るのは 一度に二人まで
という事で、最初は 母と妹に行ってもらった。
しばらくして 妹が出て来て「お姉ちゃん 行っておいで」と交代。


祖母は 目をつむって、意識もなく 
だけど ベッドは 起きてる時のように 半分くらい立ち上がっていて 
母曰く「今までは 少しだけベッドを上げた状態だったけど」

酸素マスクを付けて 目を閉じたまま 
マスクの中で口を開け、ちょっと息音をさせてる祖母の
右足先が時々動く。
左側頭部、言語を司る中枢辺りに出血した とか。
1センチだか2センチだかずれていたら 或いは出血が多かったら
多分 出血した時点で亡くなっていただろう という事だったらしい。
「大変強い生命力です」と 医者には言われたそうだけど.....
色んな意味で 私は複雑

目を赤くした母が 祖母の右手をさすりながら何か話しかけてたよ。
そして、うながされて 祖母の むくんだ右手を握った私は
ただ「おばあちゃん、ありがとう」としか言えなかった。


母が「ちょっと トイレに行って来るから 妹と代わるわ」と出て行った後
祖母の手をさすりながら 動く足先をさすりながら
時々「その姿勢、苦しくない?」
「色んな事、たくさん、ホントに ありがとう」とか話しかけてたら、
左目 目頭に うっすらと涙が見えた。

「何だか 目やにみたいなのが付いてるから、目も開けにくいよね」
と そばにあったティッシュで そっと拭いていたら
ほのかに まぶたが開いて、あまり視点の定まらぬ黒目が見えた。
「あれ〜 おばあちゃん、目を開けたの?
なんだ〜、目を開けるなら お母さんがいる時に開ければいいのに」
と話しかけていたら、母と交代した妹が来た。

「なんか、おばあちゃん 目を開けたんだよ。
ちょっと、急いで母親呼んでくるわ」と言って 慌てて母と交代しに行ったんだが。

結局、母の歩くのがモッタリしていたせいもあったのか
母がそばに行った時には もう目は閉じていたらしい。
本当に残念だった〜。
母に うっすらでも目を開けたばあちゃんと 会わせたかったなぁ

「けど、どうせまた かあさん ここに来るんでしょ?
目を開けた時に 会えるよ そのうち」
と言って 三人で病院を出た。

「わざわざ実家まで送って それから帰る というのも大変だ。
ここから まっすぐ帰りなさい」と言ってくれた言葉に甘えて

私があげた「メイプルソルト味 クラックプレッツェル」というのを
バリバリ食べまくる母(音が 狭い車内に響き渡っていた)と
黙って隣りに座る妹を八王子駅まで乗せて行き、そこで さよならして 
私は直帰した。

< 玄関の鉢植えに咲いた たった一株の パンジー あな 美し.....  ( ̄¸ ̄  >



 < 地下を通って あらゆるところに顔を出す ヒメシャガの花。かわいいから.....
許す! >


 トンネル走って面白かったし
その先は 6年くらい前(?)に通勤していた場所なので さほどの緊張感もなく
しかし その緊張感のなさで、途中 行き当たりばったりに右折したのが間違いだったのか
ちょっとばかり渋滞に遭ったりもして、結局 帰りは二時間半かかった。
帰還道程46キロ

でも、5年くらい前に2年間通勤していた「通勤路」を通って帰って来たのが
とてもとても懐かしくて 嬉しかった ^ー^
疲れたと言えば 疲れたけど
でも 楽しかった

ああいう形で生きている という事が
本人にとってどうなのか?は 全く判らない。
まあ、正直言って 判りようもないし 判ったってしようもないし
第一 人間の勝手でどうなるものでもない。
ただ、できるなら
本人が望む人生の終わり方であるように....
と 祈るしかない ってとこかな。

< 例の、美しい切手が貼られていた郵送物の 全容 >


明日も明後日も仕事があるので
これで 寝ます。
明日の為に、今夜は「キノコと野菜の炊き込みご飯」を仕込みました。

次は
生まれたばかりの息子を連れて 祖父母の家に一泊した折り
祖母が作ってくれた 美味しい美味しい「里芋とジャコと糸コンニャクの炊き込みご飯」を
作ろう と 思っています。

2012.4.30. Monday  pm 22:44