2016年10月10日月曜日

生きる ということ

しみじみと考えさせられる昨今。
若い時にも悩み 考え 友と話し合い などしたけれど
その時には想像もつかない事を実体感している昨今。

辛い事が重なった母が 急にボケたようになった と妹から連絡があり
毎週日曜に実家通いをしているここ七ヶ月ばかり。
算数ドリルや国語ドリルは満点なのに
記憶力だけがあっという間に消滅して行く現状。

自分の赤ん坊のように抱き、可愛がった猫の死
引き続いて 仲の良かった従姉妹の死
そして 「姉ちゃん姉ちゃん」と 私の母を「第二の母」として愛し
慕って来た末の妹の死
これでもかと言うように続いた愛する者との永遠の別れが 
母にはどうにも堪え難かったんだろう と思う。

過日、何でも話が出来た友の突然の死に遭い
つい先日 高校時代の2人の友の死に向き合った今
その気持ち 少しは判るような気がする。

若かった頃、私をかわいがってくれた叔母が逝った時
泣きながら「人は 死に向かって生きているのだ」と痛感したし
今も それは あまり変わってない。

それでも・・・
死に向かって生きているのだ と思っても
だからこそ
一生懸命生きている人の命が とてつもなく尊く思える。
何気ない日々のあれこれを 喜び 悲しみ 愛おしむ人の存在が
何よりも尊く感じられる。

久し振りに開いた自分のブログを覗いたら
従兄のブログを見つけた。
2人目の孫を授かった という 従兄。
彼の しみじみとした どこまでも穏やかで優しい暖かな人柄を思う時
どうか この喜び 幸せが ずっとずっと続くように と 祈る。