というものの 色々な意味を考えさせられた一日でした。
祖母が 栄養剤も水分補給も外されたのは
三日前に どちらかが肺に入り込んだのだと。
そして そのせいで とても苦しんだから だそうです。
祖母は 相変わらず、酸素マスクを付け
肩で息をしてました。
母は 黙って手足をさすり、妹は 祖母の耳元に「私だよ」と囁いておりました。
しばらくしたら 祖母と同居していた従妹(叔母の次女)が
そして そのあと 厚木から 同じく従妹(叔母の長女)が
ダンナさんとみえました。
「苦しそうだよね」
喘ぎながらの呼吸を10回くらいして 無音になる。
そしてまた、大きく息を吸い込んで また喘ぐ という事を繰り返す
小さな小さな祖母。
そして、
ただ横たわり 眼を閉じた 意識のない中で 時折 左手を動かし、
その掌を掴んだ者の手を
枯れ落ちていく弱々しい老人とは思えぬ力で ぎゅっと握る。
私には それが
「生 との戦い」に 見えました。
栄養剤も 水分さえも補給されなくなった祖母の身体
それでも 力強く脈打つ鼓動が 首筋と鎖骨の辺りに見えた時
私は「祖母は 今、生きようとする命と戦ってる」と 感じたのです。
帰宅する時、祖母に「私はなかなか来られないからね、ゴメン」
「じゃ......さよなら」と言い
耳元で「苦しい? よく頑張ってきたよね。
神様だけが知っている事だろうけど(祖母達は『ものみの塔』の信者だから)
もう、無理しないで 楽になっていいんだ」と 小さな声で言いました。
これすら おこがましいけれど
涙は 出ません。
上手く言えないけど、泣く気分じゃない。
あれだけ 私の命を救い上げくれ続けた祖母。
私は
この祖母と 何年も前に去って行った この祖母の夫である祖父には
いつの日か ちょっとでいいから ちょっとだけ会える事を
心の奥底の どこか どこかで願っているのかもしれないな と思いました。
今までは..........私が生きてきた人生の中で別れてきた 小さな小さな命達に
私が塵に還るその時に どうか会えますように と祈るだけだった。
今も 大方 その気持ちには変わりないけれど
まあ、実際には「塵に還る」以外の何ものでもない とも思っているわけです。
矛盾と逃避の塊 っつうとこでしょうか