2013年12月15日日曜日

認識・事実・衝撃

あまりに長い事 ブログを休んでいると
とんでもなく面倒な手続きが待っている と
凝りもせず再体験 (´Α`)

どうしても時間が遠ざかって行く昨今
涙の「おほほ (´艸`。。」状態で またまた忙しい時期に突入しております。
お友達の皆様には 非常な非礼を重ねつつ  m(_ _;m

< ↑ お友達から頂いたコーン、生でいける!というので だいぶ前になりますが
     サラダに山盛り・・・全く 美しくありません が >

前回のブログから こんだけ時間を開けりゃあ
もちろん 色んな事がありました。

1)祖父の法事(懐かしい従兄との再会 & 会食の際の 地に堕ちた私の言質)
2)You Tube での様々な「事実認知 ??? 」
3)そこから派生した、「2ch」での 浮遊

・・・三つだけとは なんと少なし (;^ω^) 

その1):
祖父が逝った時の 前後のあれこれ
今でも 五日くらい前の事のように覚えているのに
あれから もう十六年?? も 経つのか・・・?と。(十七回忌?)

祖母 & 父親叔母達レベルでは色々あったらしいが
少なくとも(多分) 従兄弟s & 従姉妹s & 私ら兄弟レベルでの祖父は
口数少なく いつもニコニコしているような、「好々爺」でしかありませんでした。
( 内外孫達が六年生になるまで「小学@年生」という月刊誌を買ってくれたし。
あれ、どれだけ楽しみだったことか )

あの時、主がいなくなった二階の八畳間で、二人でぼんやり立ちすくみながら
「ジイちゃん・・・ズルいよね 
こんなふうに アッと言う間に逝っちゃうなんて・・・」と
目を真っ赤にして私に言った 弟の姿、
今でも鮮明です。

おまけ:
それまで、過去の私の所行で、こちらを 微妙に地味に避けていた感のある弟ですが
今回の法事を機に また 少しは落ち着いた様子 (・∀・)
i pad について あれこれ訊ねた事が 再繋がりの突端 となったか? 


その2):
ふと 目にし、何気なく覗いたYou Tube での 
様々な「歴史における 『事実』諸々 」。
何とも言い訳の仕様がないが、この年になり、今更ながら
「子供の頃に習ったはずの『歴史』とは 一体なんだったのか??? 」と (;゚д゚)

何だかね、それ以来 今まで以上に「事実とはなんぞや? 真実とは何 ?? 」と
深い猜疑心に苛まれ続けておるのです。

「事実」とか「真実」って、見る角度を変えるだけで その姿は一変するんだよね。
知識極貧な私の中で
「これは事実です!」とか「真実です!」と声を大にして断言できたのは
「命は 有限 ( 『この世界』限定 )」
て くらい なものだったが
今、それ「だけ」が、厳然として核を成す「たった一つのもの」 になってしもた。

高校卒業時の「卒業生の一言」に
友は「疑う事」と書いたが、私は「信じる事」と書いた・・・

何でも頭から信じたら 文明や諸々の学術の進歩など在り得なかった と思う今
この「信じる事」が 私の「人間性の欠陥」を象徴し、また私の「人となり」を
構築しているのだ と 痛感。

「信じる事」がいけないこと とは 全く 思っては いないけれど、
軽いジョークで生徒から騙されるたびに
過去の自分が書き残した「信じる事」という文字を、
私は 痛む心を抱えながら思い出す。

上記の有数の体験から 自分の中で明確になった事は
「言われた事を頭から信じてしまう ってのは、
ある意味 思考できない『おバカ』だ」。
ここまで生きて来た私は 多分 そのまま
「おバカ」のまま 残りの人生を突っ走る んだろうが。

「 その3):2 ch 」 については 「異次元」なので割愛。

実は、ここと「 その2)」の作用が相まって 自分の中の「差別意識」を
増長させる気がして来たので、そろそろ止めるつもり。


さて
1年前には 個人的には想像もできなかった
しかし 一部の方からは確信的推測を頂いておりました「画像」をお届けして
さよならさせて頂きます。

めんどい手順を避けるためにも やはり「定期的更新」は 大事ですよね (・∀・)
と、何とも非常識 & KY 発言 にて

「では サラバ!  See you again !! :-)   Thank you 御 everybody !!! ××× 」