その「ほんの一瞬」の間に
色々在りました。
生きてると、望もうと望むまいと 多くの事がありますね。
< ↓ 頂いたゴーヤから収穫した種。小宇宙の美 です。 >
仕事が始まってから
いつもに増して 時間が飛び退る日々。
今年の若者は なかなか手強く、「ホントかい!?」と
目が点になっちまう 事も多々あり。
「こりゃあ 私が年をとったせいか?」
「普通(という言葉も 個人的には殆ど信用を置いてないのだが)
こんな行動や言動はしないだろうから、やはり 自分が変なのか??
いやいや、違うよね」と自問自答の続く状況。
それで、あっという間に 十月になろうとしております。
< ↓ 何度目かの 収穫ブルーベリー >
さて。
ひと月ほど前、久し振りに友人宅を訪れる際、
途中に住居がある 別の友人に会いました。
マメと チャタの子供の一匹を貰ってくれた人で
いつも訪ねる友人とは とても仲の良い方。
お互い、娘や息子が同級生だったので よく知っている間柄です。
彼女が庭に出ていて 会う事ができれば、チョコチョコッとお話をしていたのですが
ひと月前のこの時に その「貰って頂いたネコ」の話になりました。
貰われていった子は 白地に ところどころ薄い灰色の縞の入る模様の
とても美形の オスでした。
娘さんが「くー」と名付け、「くーちゃん」「くーちゃん」と
そりゃあ かわいがられていたネコで。
ご多分に漏れず、いつも家にいて世話をする友人にひたすら付いて回り
甘えるネコ。
小さな頃から「ドタドタ」と 足音立てて歩く、イヌみたいなネコ。
その子が 食道辺りに腫瘍ができたらしいのだ と。
一年ほど前から声が出なくなり、要求を「爪」で行う という状況が続いていたそうです。
< ↓ 食欲 バリ旺盛 な 蛾の幼虫 >
そして先日の木曜。
いつもの友人宅に赴いた際に聞きました
「くーちゃん、こないだの土曜日に 安楽死させたって」。
その筋の権威が来る という事で連れて行った病院。
その後、途端に具合が悪くなった由。
安楽死を選択する とは、どれだけ辛かっただろう。
くーちゃんが苦しむのを見ている事ができないほどの その状況に
彼女達はどれだけ苦悩しただろう。
その瞬間、同じような事を経験していた高校時代の友人が胸に溢れました。
みんな........どんだけ辛かっただろうな
くーちゃん は
マメが逝ったときと同じ 12才 でした。
「塵に還る」と判っていながら
通勤途上に「Caravan」とか「力の唄」を聴くたびに
「くーちゃん、マメと会えただろうか」
「マメは 今は息子と連れ立って旅を続けているかな」と思ってしまう自分。
ツイートに 何気なく書いた その一言に
「『しまう』は なくてもいいじゃないか。塵に還る と同時に 旅も続けている
と 考えてもいいじゃないか と 個人的には思う」と
返信してくださった方がいらっしゃいました。
この方は、以前 ルコウ草が盗まれたおりにも
「盗まずにはいられぬほど ルコウ草を愛したんだ と思って....」と書いて下さった方で
今回も 私は この方の一言で 目が醒めた気分になりました。
視野の狭い自分、硬い考え方の自分。
いい加減、自分を哀れむ事は止めて
「旅をしている」と思ってしまうなら それをそのままに受け止めればいいじゃん? と。
命があれば、それがなくなる時が来るのは 道理。
しかし、その道理を 生理的に受け止められなくなる日は 近いかもしれない。
ただ、今は
苦しみが去った くーちゃんを 思い
肉体の枷を下ろして旅立ったマメを 思います。
< ↓ 琉球朝顔。花数 思ったほどじゃないけど、まだまだ 元気で咲いてます >
そうそ、実は
また 出たらしいんだよ アレが G が (>;-_-)>
一昨日だったか 息子が騒いで、しかし 見つけられず(見つけたくもないけど)。
昨晩 また 息子が騒ぎ...... (´Α`;)
今朝も、わざとらしく 居間を歩き回っていた息子。
黙って 処分でも何でもしてくれよ てな気分です gerogero
筋肉増強運動の他に、たまたま実家に行ったおりに妹が出して来た「脳トレ」に
長い年月を越えて 再度 ハマってしまったおかげで
パソコンを開ける事からも遠ざかっていた ここんところ。
厳密に言えば 筋肉増強運動の時には
BGMとして ぴらさわ某氏の曲を流しているので パソコンは開けてるのですがね。
長い間のご無沙汰、大変に失礼致しておりました m(_ _)m
< ↓ なんて なんてキレイな 肌! >