2015年1月23日金曜日

煮詰まった寒さ

妹は 
あれから「 赤血球の数が激少!」ということで
退院が一週間延びてました。
まったく・・・何やってんだろうな あの子は・・・(´Α`)
もう、初老のオバハンなのに・・・と 気が重い。

今は 自分のマンション?で 過ごしているはず。
あれから 少々気持ちが疲れてしまって
気持ちだけでなく、胃も 何となく痛い。
それ故 実家とも妹とも 意識して遠ざかっています。

今週は、明日の土曜日も仕事だし
月曜には「 県庁前でのビラまき 」が控えているので
パスさせて頂く予定。
まあ・・・来週には 顔を出さねば 不義理かな・・・ と。

親不孝 とも 妹不孝 とも思うけど
まずは 自分の健康を第一にしておかねば
若いときとは違って 絶対に心身ともに病む! とも 思っています。

< ↓ かなり前に出た 虹。 我が家の 玄関前で >




さて
これまで、例の「 夕焼け空 」の絵
アップするなら、作者本人の許可を得て・・・と思いつつ
いつも「 許可を取る 」のを忘れる有様。

で、本日、やっと 思い出して
「 あなたの あの作品、ネットの友達に見せたいのだけれど、いいでしょうか?」
と訊ねたところ
満面の笑みで「 いいですよ 」と 快諾。
よかったです
嬉しいです
ようやっと 皆様に 見て頂ける事になりました。

「 ネット って なんですか? 」と訊かれたので
「 あの、ブログ なんだけどね。
見てくれる人も 10人くらいしかいないのね 」と (^∀^*)ゞ

空の 向こうから 吹く風を
感じて下さい
では
どうぞ!!!

題名 「 ジパング 」  ( もちっと 撮り方が上手ければなあ と思いつつ )

2015年1月11日日曜日

柔軟に かつ 固定化で

昨晩、再び実家行き。

先ほど 7時頃に帰宅。

父も母も、妹の状態が快方に向かっているせいか
表情も動作も 明るさを取り戻しておりました。
昼を挟んで 後日の為の「鳥カツ作り」
今夜の夕食「鳥カツ丼の支度」を整え
2時半に家を出て、病院へ。
 妹は 4階に移り、ベッドに横たわっておりました。
母と私が行くと、すぐに起き上がり、元気そう。
熱も下がり、食事は 五分粥 とか。

ごめんなさい という言葉
気持ち、すごく判るけど 判るけど 不安。
不安をかき消して信じる という事もできるけど
不安が勝って かき消す事が 今のところはできてない。
でも、仕方ないです。
心を「無」にして 様子を見て行くしかないかな
というのが 今現在の心境。

夫婦問題に関しても
父との関係 についても
結局は妹の問題だから、私がクヨクヨしたって 始まらないのです。
妹が 同じ事を繰り返しそうな時
気配を感じたその時には 私が 自分自身の生き方として 行動することになる
だけの話
と 思って、しばらくは「無」の状態を意識して継続するつもり。


さて
他人様には決して姿を見せぬ「幻の猫 サリーちゃん」は
正月の「二日目の滞在」の時に やっと私を認めてくれたらしく
それから5日過ぎた今回は
玄関を開けて少ししてから 顔を見せてくれました。
名前を呼ぶと こちらを見て「にゃ〜〜」と 答えます。

そっと 喉を撫でると、ススス・・・と顔を寄せて来る。
背中を撫でると、ス〜〜〜・・・と身体を伸ばす。
タマちゃん亡き後、かなり 自己主張するようになったサリーちゃんは
私が帰る時には コチャと一緒に 椅子の上で丸まってました。

自宅に着いた私は、早々に
おもちの攻撃を受けましたよ。
そして チャタは 再び、私に付いて回ってます。
こうしてブログを書き込んでいる今は 私の後ろにある荷物の上で
寝てる・・・と思ったら
あら、どこにもいないや (^∞^;)

2015年1月9日金曜日

修羅(重い。コメントは no thank you )

年も明けて 実家に赴いた一月二日。
三日には 弟家族も来て、新年の挨拶をしたのだが

三日の夜中 というか
四日の朝方 というか
妹が 吐血して、救急車で運ばれてた。

年末から お腹の調子が悪い ということで
二日の夕方に出向いた私と顔を合わせた後 アパートに帰宅し、
三日は「 そのまま静養 」していた妹。
ふと、四日の朝に 
どうしてるかな〜?と メールでご機嫌伺いをしたところ
「 実は 今 入院してる 」と。

例年、一泊だけで帰宅 という形をとっていたけど
今年は たまたま四日が日曜なので 二泊することにしたのだった。
それで 慌てて母を乗せて病院まで行ったのだが

母は「 ユミがいてくれて、本当にヨカッタ 、運がヨカッタ 」と言ったけど・・・
こういうの 「 運が良い 」と 言うのか?? ( ; ー'`ー)ワカル ケド・・・

妹は
アル中 だ。
人格が 変わる。
会った当日の妹は まだ「 普通 」だったけど
既に話す内容がいつもと微妙に違い、
メチャクチャ「 鬱 」「 被害妄想 」満載だった。

これで 二度目。
アル中 ってのは「 死ぬまで飲まずにいて、初めて『治癒』『完治』」という。
麻薬と同じで、脳内に「欲しい!」という細胞が出来ちゃう らしい。

これで退院して来ても
また 似たような状況になるとするのだったら・・・

もう 妹は 親から離した方がいい と思った。
父親と離さなきゃ お酒は飲み続けるかもしれない と。

私が 親を みる。
連れ合い殿はきっと、私が 例えば週のうちの何日か
飛び飛びの「 週に二度 」でも、家を空ける事に 良い顔はしないの 判ってる。
祖母の時の、「 週に一度 」で そうだったから。

だから、もし そうなったなら
私は 連れ合いと別れて そうして 親を看る。
先日、息子と二人 
つらつらと雑談していた時に、そういう話をした。

でも
まだ
すぐに は あの人には話ができないでいる。

きっと、「 その時 」 が 来たら、多分 自分が それを感じるだろう。
だから、その時に、顔を見て 目を見て話すことに する。
話すことに しよう  と思っている。

ただ、矛盾するような部分はあるのだけれど
全く 悲壮感はない。
悲嘆に暮れる気持ちもないし 絶望感もない。

今まで 私は、横を向いたり 後ろを見たり 立ち止まったりしながらも
歩いて来た。
生きてきた。
色んな意味で 考える事はあるけれど
ある意味に於いては なんら 後悔はない。
だから、一人で あの家に赴いて親を看るのも、
自分自身 不思議なくらい 納得してる。
まあ・・・「 諦観 」にはしたくない ってのが あるから かもしれないけど
「自分で決める」「自分で決めた」
これが 一番大事だし、だからこそ 納得もできる というものだよね。
そこに行き着く まで  が 修羅場 であったとしても だ。

う〜〜〜ん  ( ̄^ ̄;
それでも だ
それでも
「 仕事 」
「 猫 」
なんだな、あるのは。

親のことがなくたって
どこに行くにせよ、どこで生活するにせよ、仕事がなければ話にならん。
収入なしで同居したって、所詮先にあるのは「 共倒れ 」

そして
我が家の猫、チャタが
年をとったせいか、よく 私を探すようになった こと。
私が家にいる時は、年がら年中 付いて歩いて回る。
正月も、私がいなかった二日目に しばしば鳴いて
「( 私を )探していた 」( 連れ合いと息子談 )らしい。( ホントか?とは思うけど )
やはり ね、傍にいて 見送ってあげたいんだよね
もう 16才になるからなあ

問題 というなら、あるとするなら
この2つ。

まあ、色々 重くて暗い事を書いた。
「 こうなっちゃあ、ホント、しょうがないもんね 」的軽さで書いたけど
そんな心持ち、ある意味「 心 奥底の決意 」とは裏腹に
食道のとこ 何か詰まったような感触が在る。
ゴロゴロ コロコロしていて
嚥下できない「何か」
が 在る。

それらは きっと、上記の気になる事と共に

「慌てて出向いた病院で見た 妹の あの顔」
「妹の 被害妄想的発言」 
「そんな妹を見て 
医者の話を聞いて、目も 目の周りも真っ赤にしてた母の顔」
の 記憶

「『翌日 豹変した妹が発した言葉』 を聞いた時の絶望感 」
「 父親の、私達への横暴な在り方 への、同じく絶望に似た感覚 」 
「そうなったら連れ合いに話さねばならない という思い 」

それら全てを引っ括めたもの が 喉に詰まってる 
引っかかってるんだろうな 
と思う。

フン、痩せる 良い機会だよ アンタ!!! と
自分に言ってみる。
そう、だからこそ、「シワシワ (´Α`) 」にならんよう、
「 プラス 筋肉増強運動 !!!!! 」だよね ( ^ω^) ノ

まあ、今は少し静観・・・かな。
こういう事って せっかちに走っても 却って良くない と思うので。

さて
タマちゃん です。
あれだけ「 (死んだら)保健所に持って行け 」と言っていた父は
タマちゃんの前に お菓子を供え、毎朝 写真を見つめているそうです。
ホント、キツくて 弱いんだよ この人。

そして コチャ と サリーちゃんも。


サリーちゃんは、タマちゃんがお隠れになった途端に 姿を現し始め
「下僕」である父母に向かって 
沢山の 色んな話をするようになった とか。

「もしもサリーちゃんが 先に逝ってしまっていたら
『 あの子は酷い人見知りだったわ 』で終わっちゃってた んだろうねぇ 」と
しみじみ 話した事でした。
タマちゃんは、「 不思議の国のアリス 」に出て来る「 トランプの女王様 」でした。
他の猫達の 1,5倍は生きた と思います。

最後は
彼らの母親である チャタを見て頂いて  
さようなら