2013年3月27日水曜日

小さな歴史

三日くらい前に気が付いたのです。
私、車の免許を取って こないだの16日で
もう 満七年なんだ! と。

たまたま東京に出向く用事があり
連れ合い殿の運転で 出たのですが。

< ↓ 連れ合い殿を下ろし、実家に向かう途中のお堀端を 車内から。 >


その時に はっ! と思い出して
「私、免許取って、もう満七年だった 」と言ったら
連れ合い殿が「え! もうそんなに経つの!?」
「七年かあ・・・殆ど事故もなく 来られたねえ なかなかだ」と。

四回の「縁石乗り上げ」と
一回の「時間制限で通っちゃ行けないとこを通った」のと
一回の「接触事故」と
最後の「追突され事故」
パッと思い浮かぶのは これだけですか。

そのせいで 教習所時代を 彷彿として思い出したのです。

受付をした際の 女性も 本当に優しい方でして。
(亭主談)「真っ赤な顔」をして書類に書き込んでいる私に
「大丈夫ですよ 絶対に取れますよ!」って・・・^^

色々な教官がいて、面白かったです。
もちろん当時は「勉強は楽しいが 実技はド緊張」状態だったのですがね。

どんな教官に当るか判らない! ってのは 結構なストレスでした。
いや・・・相当なストレスでした。
11月の末に申し込んだのですが
連続して取ることに 強迫観念が働き、どうしても心が追い付かず
12月の下旬辺りにキャンセルを入れてしまったこと 一度ありましたっけ (^∞^;)

第1回目の教官が 若いんだけどなかなか嫌みな人でしたなあ
(別な意味で 大変に辛辣で感情的な人は 後半に出た)

こちらが 必死でハンドル握ってぐるぐる回してる隣りで
色々なことを言って来るわけです。

最初は 一言一言に対して いちいち「ハイ」と返事をしていたんですが
後半は 運転に集中していたせいか 生返事。
てか、何か言われると自動的に出て来る「ハイ」。
もう「パブロフの犬」状態。

で、何か言われて その時も生返事で「ウン」と言ったのですね。
(途中から、運転に集中していたせいか いつの間にか「ウン」になっていた)

そしたら 急に教官の元気が萎びた感じで「え・・・まあ・・・
そういうやり方もある ってことでね」とか言うのです。

「え・・??」と思い 横目で教官をチラ見しながら記憶を掘り返した
その瞬間、よみがえって来た教官の言葉が
「ブレーキを踏む感覚だよ。
あのさあ、家で生卵を踏む練習でもしてみたらいいんじゃない?」
なのでした。
生卵が割れるか割れないか? そのくらいの感覚を・・・と
話していたらしいのです。

けど、その 嫌み満載の提言に対して
殆ど聞いていなかった私が機械的に発した 生返事の「ウン」に
「オレの嫌みに開き直っちゃったか このオバハン?」と 
思わずも トーンが下がったのか (^∞^;)

その方は 二回、「ブレーキ」のとこで 授業を重複させてくださいました。

なんせ初めてなことでして、心的ストレスなど想像するべくもなく
「授業 取れるだけ取って とにかく早く終わらせよう!」と
初日のその日 午後に二回の教習を入れておりました

「次は どんな先生なんだろう・・・」と戦々恐々としていたところ
二回目の教官は 当時60近くでもあるような初老の先生で
この方が 大変にのんびりしていらっしゃる方でした。
田中先生 とおっしゃいましたっけ。

お酒が大好きなようで、必死で運転している隣りで
ノンビリと「お酒はねえ〜♪」とか話されるのです。
そして「あなたも 免許証を取ったら
ダンナさんとお酒で乾杯! かな?」 とか ^^ 

一時間の間 教習所内を ただ グルグルグルグル回るだけ・・・
「まあ、最初なんだから こういうのもいいんでない?」と仰りながら
一時間 2人して 田中先生のお酒談義 或いは黙って 所内を回っておりました。

これ、本当に楽しかったです。
とてもリラックスしてぐるぐる回っていたんです。
この先生のおかげで 私、「次も頑張ろう!」って思えたのでした。

正味 三ヶ月ほどの教習で
色んな思い出があります。
そういや、追突された時の「絵」を描くの忘れたな・・・
ま、いいや

当時は 髪が長く、後ろに縛って教習しておりました。
そして、10年前に買った ボロになったけど履き易い靴を履き通しました。
路上の際に 田中先生が仰った「そうそう!慣れた靴がいいんだよ!
ずっとそれを履いて来た方がいいよ!」という言葉通り。

運転途中で、何か 違和感を感じ
「遠くがボケるのか!?」と 急遽 眼鏡を購入して 
運転する時には眼鏡をかけるようにした ということで
「近視」に気が付いたのも この時でありました。

とにかく 以降
思い出深いものを厳選して 見て頂きたくアップ致しました。

< ↓ 左:初めての路上。なのに・・・どうして「バイパス」出すか!?
バイパス60キロだろうが!!!
と 泣きそうになった初路上運転

右:雨の夕暮れ時。「制限速度で走る」というから頑張っていたんだけど
フロントガラスに打ち付ける雨のスゴさに
「こりゃ 絶対に事故を起こすな」と思い
教官に「この速度では走れません!」と必死の懇願 >


 < ↓ 最大の難関 と自分の中では位置づけていた「高速教習」 >


 < ↓ 同じく 高速教習 料金所手前にて。自分のアホさ加減にウンザリした。
千葉教官、本当にご苦労様でした と しみじみ思います >


 < ↓ 路上試験に合格し、教習所内で行う「筆記試験」にて。
わざわざ声をかけて下さった若い男性がいらっしゃいました。 >


↑ 教官が問題用紙を配りながら 
「受かると思う人 手をあげてみて」と言うので
一番前に座っていた私 サッと手をあげたのです。
なんせ、所内試験があるたびに 受けられる時には受けていたから
満点は取れなくても 合格圏内には いるだろう と思い。

そしたら 教官が私を見て ニコニコし
また 場内の空気も何か変だったので サッと振り向いたら
手を上げてる人は 私以外 一人もいなかった・・・(;゚∀゚)


その何日かのちに 鴻巣センターというところで
本試験が行われ
そこでも無事に通過して 最後の話を延々と聞かされ
最後の最後で 免許証のための写真を撮ったのですが

五時間ほど 試験やら何やらで 疲れ切っていた私の「免許証写真」は
目が 少々ロンパって あらぬ方を向いた うつろなもの。

その 真新しい免許証を持ってバイクで一目散に教習所に出向き
受付の方々に「取れました!」
「本当にお世話になりました!ありがとうございました!!」と見せに行ったのでした。

さて もう一方の 小さな歴史。

おもちは 昨日 お玉を取りました。
男の子なので 朝行って 夕方帰る という一日処理。

病院で「もち なんて、本当に妙な名前で・・・」と言ったら
先生が笑いながら「いえいえ〜 ちっとも変じゃないですよ〜
もっとスゴい名前ありますしねえ」と。
訊いてみればよかった・・・ と思う 後日。

昨晩は 私の部屋の ホットカーペットの上
「車に撥ねられて倒れている、外傷が見られぬ猫」のように 
グッタリ感満載で ずっと寝ておりました。

< ↓ 昨晩の おもち。カメラのスイッチを入れる音で ピクッと頭を上げる。
相当神経質になっとる模様 >




< ↓ 今朝の おもち。シャッター音に 耳だけこちらを向いておる >


今朝になり、おもちは 少し元気回復した模様。
一度だけ チャタをおいかけておりました。

さきほど 息子が「もち! 頼むから お尻を向けないでくれ!
痛々しい・・・」と。

マメの時には 絆創膏が貼付けてあった と記憶してるのですが
今は 絆創膏じゃないのですかね。
まあ、絆創膏してても、
あっという間に 舐めて剥ぎ取ってしまいますからね

「切れない糸(不溶解糸?)」を使い
そのまま 丸出し。。。
毛を剃るから尚更なのでしょうが
まるで「血のりの付いたお玉が 丸出し状態」
に見える・・・(´Α`;

五日後か 一週間後に 再び出向いて
抜糸する という予定になっています。


< ↓ たった一日で こんなに伸びた ジューンベリーの蕾 >


< ↓ 海の滴 ローズマリーの花です。そこここから 飛び出しているのは
一緒に植えてある ワイヤープラント >