というくらい、ご無沙汰してました。
あまりに酷い無沙汰振りなので
少しご報告。
< 私らが居ない間は こうして 私のベッドの上で 布団に包まって寝てるチャタ。
しかし.............目つき ワル! >
1. 追突相手のアンちゃんは どうやら引っ越して逃げた模様。
苦い顔&呆れ顔の亭主殿の前で、思わず「あちゃ〜〜〜!」と笑ってしまった。
2. 来年度の仕事場がどうなるか? は、まだ決定してません。
でもって、かな〜り慣れて来た一年生が 最近舐め気味なので
毎時間「芸術舐めたらどうなるか.......判ってんだろーな ?!」と 〆。
3. 若い頃には判らなかった「肩凝り」というのを、また最近 強く感じる。
肩甲骨の裏側がダルい。
......あんまり 変化ないね 私って (^△^;;
今日は、息子が夜のお出かけがない というので
それに甘えて 時間外の仕事をして来た。
帰宅したのは7時半。
そしたら 早帰りの息子が洋食を作ってくれておった。
父ちゃんは 風呂場から、車を降りた私に「お帰り〜」と。
タコとニンニクのパスタ とっても美味しかったぁ。
けど、写真 取り忘れた
サラダは 昨夜のをリクエストされたので 同じ物を。
< これは 昨晩の。今夜は こんなにちゃんと盛ってなく、ボールに入ったまま。
だめだね〜 どうしても padちゃんみたく 気を配れない..... ^^ ;;; >
< タマネギとかマッシュルーム、トマト、セロリ、カイワレ など
そこらにある野菜をやたらめったら入れまくって
お塩を一振り、胡椒ばらまき、オリーブオイルをニ〜三周回しかけ、バルサミコ酢も同じく
それを ワッサワッサと手でかき混ぜて 出来上がり。
あ〜〜 なんて お下品な料理法 >
スープは これまた昨晩作ったホワイトシチューの残りで。
< 今回は、いつもの具に プラス、ちとお高かったが 芽キャベツを..... >
もっとも、「残り」といっても、大鍋にタップリ作るので まだ残ってる.....が、
他の具を入れて「グラタン」にしても美味しいので、活用%は大。
てな日々を送っておりました。
先日は、久し振りに「かき餅」も作ったんだ。
サツマイモを入れたのも美味しいけど、私は「青のりと胡麻入り」が大好き。
今は それを干しっぱなしの状態です。
バリバリに干し上がったら、また アメリカの友達に少し送ろうと考えてます。
皆様のブログはできるだけ拝見しているんだけど
コメしなくて ゴメンチャ! です
< 一昨日の 出掛ける前の 車の 凍り付き現象。毎日 さぶいネ プルプル! >
2012年1月30日月曜日
2012年1月4日水曜日
明けまして もう三日!
今夜は 息子の高校時代の友人が泊まりに来ています。
息子自体は 本当に どうしちゃったんだか
いつまで経ってもおこちゃまでして.....
高校時代も
高校の二年になって「ああ....やっと高校生らしくなって来たな 精神的に」という具合。
それ以降は 年々成長具合が遅くなっとる。
今現在では「精神成長は10年くらい遅れとる」かな ウン。
しかし、この「友人達」がいてくれたおかげで
息子は 曲がらずに(曲がってるけど『まだ良い』という感じで)来る事ができたのです。
そして、彼らが遊びに来てくれる事で
一人しか子供を授かる事ができなかった私は
言いようもない幸せを 味あわせてもらえたのです。
彼らがよく遊びに来てくれていた高校時代には
「今度の土曜にあいつら泊まりに来る」と聞けば
職場近くの店の安い「牛のはらみ肉」を4〜5キロ買い込み 原付で持って帰り
「今度の休みに来る」と聞けば
これまた 同じ店で鳥モモを買い込み
夕食や 昼ご飯(昼過ぎまで寝取るので) を作ったものでした。
本当に
楽しかった
卒業の時には
総勢20数名が 息子の部屋と私の部屋をぶっ通しにした「12畳間」で
夜通し喋ったり雑魚寝したりして行ったのでした。
今から思うと なんて幸せな子
なんて幸せな母 だったのだろう.....
今夜、今も階下で息子と二人で食事しながら話に花を咲かせているのも
当時 よく遊びに来てくれた子です。
大学卒業してから就職し、仕事場が愛知県になった彼は
正月のたびに 愛知からのお土産を持ち 訪れてくれる。
<パスタと 魚のソテーは息子作。友の為に仕事から帰宅して作ってました>
今回も彼は、私の実家行き日程を訊ねて
「おばさんが居る時にお邪魔したいから」と来てくれました。
あたしゃ こそこそと 涙出ましたん ^0^”
「ああ............ここにも こんな大きな幸せがある」と
これからの日本は この 若い人達が背負って行くわけですが
それでもまだ 私にだって出来る事はあるはず。
若い人達にこの世界を手渡す時に 少しでも後悔が残らぬ生き方をしたい。
色々な思いが沸き上がるここ何日か ですが
ま、息子に関してだけ 言えば
この 多くの友を大事にして 自分の人生を歩んで行って欲しい
我が儘で 短気なヤツだけど、誠実な心 人間の尊厳というものを探りながら
彼なりの人生を歩んで行って欲しいな と
それだけ..............かな ^ー^
ここに 遊びに来て下さる皆様
皆様の健康と沢山の喜び幸せを心より祈りつつ
どうぞ 今年もよろしくお願い致します m(_ _)m ^▽^”
息子自体は 本当に どうしちゃったんだか
いつまで経ってもおこちゃまでして.....
高校時代も
高校の二年になって「ああ....やっと高校生らしくなって来たな 精神的に」という具合。
それ以降は 年々成長具合が遅くなっとる。
今現在では「精神成長は10年くらい遅れとる」かな ウン。
しかし、この「友人達」がいてくれたおかげで
息子は 曲がらずに(曲がってるけど『まだ良い』という感じで)来る事ができたのです。
そして、彼らが遊びに来てくれる事で
一人しか子供を授かる事ができなかった私は
言いようもない幸せを 味あわせてもらえたのです。
彼らがよく遊びに来てくれていた高校時代には
「今度の土曜にあいつら泊まりに来る」と聞けば
職場近くの店の安い「牛のはらみ肉」を4〜5キロ買い込み 原付で持って帰り
「今度の休みに来る」と聞けば
これまた 同じ店で鳥モモを買い込み
夕食や 昼ご飯(昼過ぎまで寝取るので) を作ったものでした。
本当に
楽しかった
卒業の時には
総勢20数名が 息子の部屋と私の部屋をぶっ通しにした「12畳間」で
夜通し喋ったり雑魚寝したりして行ったのでした。
今から思うと なんて幸せな子
なんて幸せな母 だったのだろう.....
今夜、今も階下で息子と二人で食事しながら話に花を咲かせているのも
当時 よく遊びに来てくれた子です。
大学卒業してから就職し、仕事場が愛知県になった彼は
正月のたびに 愛知からのお土産を持ち 訪れてくれる。
<パスタと 魚のソテーは息子作。友の為に仕事から帰宅して作ってました>
今回も彼は、私の実家行き日程を訊ねて
「おばさんが居る時にお邪魔したいから」と来てくれました。
あたしゃ こそこそと 涙出ましたん ^0^”
「ああ............ここにも こんな大きな幸せがある」と
これからの日本は この 若い人達が背負って行くわけですが
それでもまだ 私にだって出来る事はあるはず。
若い人達にこの世界を手渡す時に 少しでも後悔が残らぬ生き方をしたい。
色々な思いが沸き上がるここ何日か ですが
ま、息子に関してだけ 言えば
この 多くの友を大事にして 自分の人生を歩んで行って欲しい
我が儘で 短気なヤツだけど、誠実な心 人間の尊厳というものを探りながら
彼なりの人生を歩んで行って欲しいな と
それだけ..............かな ^ー^
ここに 遊びに来て下さる皆様
皆様の健康と沢山の喜び幸せを心より祈りつつ
どうぞ 今年もよろしくお願い致します m(_ _)m ^▽^”
登録:
投稿 (Atom)