2013年3月29日金曜日

癒しの手

犬のいなくなった庭は 驚くほど荒涼としてて
絶対零度の宇宙が降りて来たかのように
命も何も感じられず
そこはかとなく 冷徹な無言の世界。

その上に 例の「自爆」が重なって
以前も書いたように 実に長いこと 庭には出ませんでした。

しかし・・・

穏やかに 
知らないうちに 
こっそりと 忍び寄りながらも
強引に「出て来いよ〜〜〜!!」と誘うような
春の吸引力 

今回ほど 強烈に感じたこともありませんでした。

ふ・・・と「庭に出てみようか」って思うんですね。

「タライのメダカ、元気かしら?」  とか


「そういえば、あの薔薇は どうしたかな 生きてるかな?」 とか
「アンジェラ、芽が出始めたかな?」  とか

「お墓に アレを植え付けなくちゃ いけなかったな」  とか
「昨年 たくさん取った ポピーの種、蒔いてみようかな
そうだ、ルコウ草もあったし ゴーヤも フウセンカズラもあったじゃないか・・・」 
って思っちゃうんですね。


それで 二週間くらいの間に
ポピーの種を蒔き、ルコウ草とゴーヤとフウセンカズラの種を蒔き

一昨年 通販で買ってもらったクリスマスローズをマメのお墓に植え直し

< ↓ 一昨年 届いた 小さなクリスマスローズ の 苗 >



 < ↓ これ、一年で 結構大きくなってくれるものなのですね >




昨年 友達から貰ったスズランを チョビのお墓に植え替え
山積みにしたままだった 芽の出始めたスノーフレークを
ブルのお墓に植え直し・・・・と

< ↓ スノーフレーク >


そんな感じで 先日来の ブログを書き込んでいたのですが
庭に出るたびに いっつも 
周りの もの言わぬ色々なもの達から
心を撫でてもらっている・・・ような気がしています。

昨日は
久し振り・・・
そうだなあ四ヶ月か五ヶ月振りででもあっただろうか
友達の家を訪ねたのでした。

「沈着冷静彼女」の家は 相変わらずステキな春の装い。
我が家とは正反対
まるで「イギリス庭園」って感じですか ^▽^

なんていうか
キチンと整備されていて
雑草だってまるで見えず
大事にしてる植物達だけが「我が世の春を満喫してる!」姿。

< ↓ 上:友達んち  下:我が家 >


( ̄Д ̄;)・・・ホースと ビニール袋だけでも 片付けてから 撮りゃ いいのに・・って
自分でも思うヨ 汗


彼女の家の植物達が これがまた とても美しかったので
写真に撮らせて頂きました。
時期が時期なだけに たいがいのとこ クリスマスローズなんですけど
春の美!



 < ↑↓ 八重のクリスマスローズ って とっても高価なんだド!
 でも、たまたま とっても安かったから買ったんだって!! >




< ↓ ・・・少し 欲しい気がする・・・> 




帰りには 彼女から
「赤い花のクリスマスローズ」を頂き
早々に 庭に植え替えたのでした。  嬉しい!!!^▽^ ヽ(´▽`)/ 


二年ほど前に 彼女にあげた「ジューンベリー」は
細い枝先にさえ花芽を付けてまして

ホント、彼女は 熱帯魚の世話も 植物の世話も
本当に上手なんだよね。
熱帯魚なんか えらく増えるか大変に太るか だし
植物は あれよあれよと成長して行く・・・
そういう「オーラ」を持ってるのかもしれないな
と 最近 思います。
欲しいよ 爪の垢・・・

< ↓ 我が家のジューンベリー。花芽が付いただけでも上出来! >


< ↓ 穫って来たポピーの種を 考えもせず
全部 だーーーーっ!と蒔いちゃったので
こんなふうに密生してしまってる・・・頼む!めげずに伸びてくれぃ!!! > < ; >


< ↓ ついでに おもち の 過去 現在 >





↑ ・・・なんで こんな変な顔になっちゃったんだろ? (´・ω・`)?? (´・ω・`;; ??

2013年3月27日水曜日

小さな歴史

三日くらい前に気が付いたのです。
私、車の免許を取って こないだの16日で
もう 満七年なんだ! と。

たまたま東京に出向く用事があり
連れ合い殿の運転で 出たのですが。

< ↓ 連れ合い殿を下ろし、実家に向かう途中のお堀端を 車内から。 >


その時に はっ! と思い出して
「私、免許取って、もう満七年だった 」と言ったら
連れ合い殿が「え! もうそんなに経つの!?」
「七年かあ・・・殆ど事故もなく 来られたねえ なかなかだ」と。

四回の「縁石乗り上げ」と
一回の「時間制限で通っちゃ行けないとこを通った」のと
一回の「接触事故」と
最後の「追突され事故」
パッと思い浮かぶのは これだけですか。

そのせいで 教習所時代を 彷彿として思い出したのです。

受付をした際の 女性も 本当に優しい方でして。
(亭主談)「真っ赤な顔」をして書類に書き込んでいる私に
「大丈夫ですよ 絶対に取れますよ!」って・・・^^

色々な教官がいて、面白かったです。
もちろん当時は「勉強は楽しいが 実技はド緊張」状態だったのですがね。

どんな教官に当るか判らない! ってのは 結構なストレスでした。
いや・・・相当なストレスでした。
11月の末に申し込んだのですが
連続して取ることに 強迫観念が働き、どうしても心が追い付かず
12月の下旬辺りにキャンセルを入れてしまったこと 一度ありましたっけ (^∞^;)

第1回目の教官が 若いんだけどなかなか嫌みな人でしたなあ
(別な意味で 大変に辛辣で感情的な人は 後半に出た)

こちらが 必死でハンドル握ってぐるぐる回してる隣りで
色々なことを言って来るわけです。

最初は 一言一言に対して いちいち「ハイ」と返事をしていたんですが
後半は 運転に集中していたせいか 生返事。
てか、何か言われると自動的に出て来る「ハイ」。
もう「パブロフの犬」状態。

で、何か言われて その時も生返事で「ウン」と言ったのですね。
(途中から、運転に集中していたせいか いつの間にか「ウン」になっていた)

そしたら 急に教官の元気が萎びた感じで「え・・・まあ・・・
そういうやり方もある ってことでね」とか言うのです。

「え・・??」と思い 横目で教官をチラ見しながら記憶を掘り返した
その瞬間、よみがえって来た教官の言葉が
「ブレーキを踏む感覚だよ。
あのさあ、家で生卵を踏む練習でもしてみたらいいんじゃない?」
なのでした。
生卵が割れるか割れないか? そのくらいの感覚を・・・と
話していたらしいのです。

けど、その 嫌み満載の提言に対して
殆ど聞いていなかった私が機械的に発した 生返事の「ウン」に
「オレの嫌みに開き直っちゃったか このオバハン?」と 
思わずも トーンが下がったのか (^∞^;)

その方は 二回、「ブレーキ」のとこで 授業を重複させてくださいました。

なんせ初めてなことでして、心的ストレスなど想像するべくもなく
「授業 取れるだけ取って とにかく早く終わらせよう!」と
初日のその日 午後に二回の教習を入れておりました

「次は どんな先生なんだろう・・・」と戦々恐々としていたところ
二回目の教官は 当時60近くでもあるような初老の先生で
この方が 大変にのんびりしていらっしゃる方でした。
田中先生 とおっしゃいましたっけ。

お酒が大好きなようで、必死で運転している隣りで
ノンビリと「お酒はねえ〜♪」とか話されるのです。
そして「あなたも 免許証を取ったら
ダンナさんとお酒で乾杯! かな?」 とか ^^ 

一時間の間 教習所内を ただ グルグルグルグル回るだけ・・・
「まあ、最初なんだから こういうのもいいんでない?」と仰りながら
一時間 2人して 田中先生のお酒談義 或いは黙って 所内を回っておりました。

これ、本当に楽しかったです。
とてもリラックスしてぐるぐる回っていたんです。
この先生のおかげで 私、「次も頑張ろう!」って思えたのでした。

正味 三ヶ月ほどの教習で
色んな思い出があります。
そういや、追突された時の「絵」を描くの忘れたな・・・
ま、いいや

当時は 髪が長く、後ろに縛って教習しておりました。
そして、10年前に買った ボロになったけど履き易い靴を履き通しました。
路上の際に 田中先生が仰った「そうそう!慣れた靴がいいんだよ!
ずっとそれを履いて来た方がいいよ!」という言葉通り。

運転途中で、何か 違和感を感じ
「遠くがボケるのか!?」と 急遽 眼鏡を購入して 
運転する時には眼鏡をかけるようにした ということで
「近視」に気が付いたのも この時でありました。

とにかく 以降
思い出深いものを厳選して 見て頂きたくアップ致しました。

< ↓ 左:初めての路上。なのに・・・どうして「バイパス」出すか!?
バイパス60キロだろうが!!!
と 泣きそうになった初路上運転

右:雨の夕暮れ時。「制限速度で走る」というから頑張っていたんだけど
フロントガラスに打ち付ける雨のスゴさに
「こりゃ 絶対に事故を起こすな」と思い
教官に「この速度では走れません!」と必死の懇願 >


 < ↓ 最大の難関 と自分の中では位置づけていた「高速教習」 >


 < ↓ 同じく 高速教習 料金所手前にて。自分のアホさ加減にウンザリした。
千葉教官、本当にご苦労様でした と しみじみ思います >


 < ↓ 路上試験に合格し、教習所内で行う「筆記試験」にて。
わざわざ声をかけて下さった若い男性がいらっしゃいました。 >


↑ 教官が問題用紙を配りながら 
「受かると思う人 手をあげてみて」と言うので
一番前に座っていた私 サッと手をあげたのです。
なんせ、所内試験があるたびに 受けられる時には受けていたから
満点は取れなくても 合格圏内には いるだろう と思い。

そしたら 教官が私を見て ニコニコし
また 場内の空気も何か変だったので サッと振り向いたら
手を上げてる人は 私以外 一人もいなかった・・・(;゚∀゚)


その何日かのちに 鴻巣センターというところで
本試験が行われ
そこでも無事に通過して 最後の話を延々と聞かされ
最後の最後で 免許証のための写真を撮ったのですが

五時間ほど 試験やら何やらで 疲れ切っていた私の「免許証写真」は
目が 少々ロンパって あらぬ方を向いた うつろなもの。

その 真新しい免許証を持ってバイクで一目散に教習所に出向き
受付の方々に「取れました!」
「本当にお世話になりました!ありがとうございました!!」と見せに行ったのでした。

さて もう一方の 小さな歴史。

おもちは 昨日 お玉を取りました。
男の子なので 朝行って 夕方帰る という一日処理。

病院で「もち なんて、本当に妙な名前で・・・」と言ったら
先生が笑いながら「いえいえ〜 ちっとも変じゃないですよ〜
もっとスゴい名前ありますしねえ」と。
訊いてみればよかった・・・ と思う 後日。

昨晩は 私の部屋の ホットカーペットの上
「車に撥ねられて倒れている、外傷が見られぬ猫」のように 
グッタリ感満載で ずっと寝ておりました。

< ↓ 昨晩の おもち。カメラのスイッチを入れる音で ピクッと頭を上げる。
相当神経質になっとる模様 >




< ↓ 今朝の おもち。シャッター音に 耳だけこちらを向いておる >


今朝になり、おもちは 少し元気回復した模様。
一度だけ チャタをおいかけておりました。

さきほど 息子が「もち! 頼むから お尻を向けないでくれ!
痛々しい・・・」と。

マメの時には 絆創膏が貼付けてあった と記憶してるのですが
今は 絆創膏じゃないのですかね。
まあ、絆創膏してても、
あっという間に 舐めて剥ぎ取ってしまいますからね

「切れない糸(不溶解糸?)」を使い
そのまま 丸出し。。。
毛を剃るから尚更なのでしょうが
まるで「血のりの付いたお玉が 丸出し状態」
に見える・・・(´Α`;

五日後か 一週間後に 再び出向いて
抜糸する という予定になっています。


< ↓ たった一日で こんなに伸びた ジューンベリーの蕾 >


< ↓ 海の滴 ローズマリーの花です。そこここから 飛び出しているのは
一緒に植えてある ワイヤープラント >

2013年3月23日土曜日

次年度に向けて

来週の火曜辺り
今年で終える仕事場の
最後の後始末に出向きます。

先日の卒業式の折りに
大方のところを片付けて来たのですが
その最終的な「確認」と「まとめ」かな。

整理整頓がヘタな私なので
どこまで すんなりした使い勝手に出来るか?は 疑問ですが
これも 締めくくり として
自分にとっては大事な事であります。

下の階にいらっしゃり 
園芸関係に携わっている先生方には 大変にお世話になりましたので
何か おやつになるようなもの(和三盆で作った干菓子)と
平沢某氏の「庭師KING」のCD を置いて来ようか と考えてます。

初めて題名を聞いた時には
「庭師KING」?
「庭師」はいいけど「KING」って なんだこりゃ? と思ったんですが
歌詞が もう 本当に素晴らしくて 涙ぐんだほどだったのです

 http://www.youtube.com/watch?v=tyMkTsjCdqI

これ、全く知らない人からしたら
お別れの置き土産 だなんて
とんでもなく迷惑な代物とは思いますが

私自身が 園芸的なものが大好きであり
大学時代 「庭師」の元でバイトした経験から
この曲を初めて聴いた時
本当に感激しましたので。
その気持ちの 強制的お裾分け と申しますか (^^;)


そして、次年度も引き続きの仕事場へは
その後に出向く予定。
昨日 突然入った連絡によると
新一年生が 44〜5人になるらしく  ?!!! Σ(゚ロ゚ノ)ノ  (;゚∀゚)
生徒用の机の件に関しても 話をしておかねばなりません。

私が高校生の頃は
一クラス 50人近かったか? と思うのですが
近年では だいたいのところで 40人学級となっている模様。
40 +−1〜2 ってとこでしょうか。
初めて 高校に勤めたときも
やはり 同じような人数だった?とは 思うのですがね

慣れ というのは 恐ろしいものです
楽な方に 簡単に慣れちゃう (^∞^;) (^д^;

ヤンチャな子が多いとこでは この人数だと
本当にしんどいのです。
二コマ終わると ゲッソリなります。 (´Α`)
授業が始まる前には 胃がキシキシ来る事も。 (≧△≦)
しかし、それが仕事でありますから
自分を奮い立たせて チャイムが鳴ると教室に出て行くのですが

まあ、このガッコだったら
授業中に立ち歩いたり(慣れて来ると出るが) 
注意を無視する という生徒はいないだろう
とは思いますが
40人でさえ ギチギチの教室の中
「この人数で どうやって イーゼル立たせて油絵の授業する??」という事が
目下のところの「頭が痛い問題」であります。 σ(-''-;)

さてさて
「次年度」に向けて・・・というか
「新しい生活」に向けて・・・というか
いよいよ 来週の火曜日に
おもちは おかまに向けて出発の時! を迎えます。 ( ・◇・)? (;゚∀゚)

月曜の夜 10時過ぎからは
ご飯 も お水 も口に入れないように との事で。

食事や水など 出しっ放しだし
チャタも一緒 という事もあり で
月曜の夜から 火曜の朝にかけては
チャタには申し訳ないけど
おもちと いっしょに
「断食」「断水」を励行して頂きます。
ごめんね〜 チャタ! (^∀^*)ゞ


 < ↓ がっついてる おもち >


< ↓ 以下 庭の模様。やはり 春になり 命が芽吹き始めると 落ち着きませぬ >

 ↓ アサギリソウ・・・だったっけ??


< ↓ 我が家の庭の桜も ついに 開花のときを迎え >


< ↓ マメのお墓に植えた 小さなクリスマス・ローズ >


< ↓ 桜の根元の クリスマス・ローズ >


< ↓ 桜の根元の ニオイスミレ >


< ↓ 昨年末の脅しが利いたのか? ついに ジューンベリーにも
たくさんの花芽が付きまして、これは その一つを 接写 >


< ↓ その上の方に付いていた カマキリの卵 >


< ↓ ここに越して来た折りに 実家の母が買ってくれた贈り物
 かわいい ピンク色の アセビ >


< ↓ 義母が育てていた・・・なんだったっけ? ど忘れが激しい昨今 (′A') >


< ↓ 絵画教室を終える生徒さんがくださった 花束の中の一つ
太陽とも見紛う かっしりと 咲いている ガーベラの 花 >

2013年3月16日土曜日

本日も「新たな一歩」

もう一カ所の仕事場での「卒業式」がありました。

私はここでも卒業式には参加せず
「作品提出期限」を昨日にしてしまった結果の 
「自己責任」後始末(来週の月曜日に成績入力!(´Α`;; )
に翻弄されておりましたが

美術部の生徒達(と言っても、一人は今回卒業する三年生、
もう一人は在校生 もう一人は浪人していた卒業生 の三人)が
「茶道部の先生が お茶をご馳走したいと仰ってますので」と呼びに来てくれて 
茶道部員さんから「お茶」を御馳走になりました。

以前から茶道部と美術部は活動を共にすることが多い との事で
「仕方ない・・・」(′A' ;
「気後れ&緊張」する心を奮い立たせ
見知らぬ人々が大量におわす部屋にお邪魔したのです。

実は この卒業生さん
受験前の二月末から 「二週間ほどデッサンをさせて欲しい」という事で
準備室の奥の部屋で ほぼ毎日 午後に訪れては石膏デッサンをしていたのです。
帰る時に 一言二言「指導」して・・・
という「短期日課」でありました。

私が就任する前に卒業された方だから お会いした事はなかったのですが
素晴らしい油絵が残っており
彼に関してのあれこれも 2人くらいの先生からお聞きしていたのもあり で
初めて会った時にも「ああ、あなたが あの方なのですね!」という感じでした。

そんなふうだったし
私自身、浪人生活の辛さも知っておりますから
喜んで 準備室の奥の部屋を用意させて頂いたわけです。

その彼から「@&大学に合格しました」とメールがあった時には
言葉が出ませんでしたねえ・・・
本当に 本当に嬉しかったです。

話が前後しましたが
その 茶道部の部屋で お茶を御馳走になりながら
遠くまで受験しに出掛けた三年生から 受験内容のアレコレを聞き
浪人して今回大学合格した卒業生の 受験時の話も色々と聞き
なかなか面白い時間を過ごして参りました。


彼ら・・・・・・・
私の中では とてもとても大切な人達だったのです。

三年生の彼には 赴任1年目で不安だった私を
どれだけ支えてもらった事か

在校生の彼には 私の一言一言を どれだけ素直に受け止めてもらった事か

そして
この卒業生さんには 素晴らしいデッサンを見せてもらえ
どれだけ律儀に対応して頂いた事か・・・

その 彼らが 今 
色んな話を興奮気味に話してくれている・・・
実に 楽しかったです。

そんなふうに
色んな質問して その答えに驚いたり感動したりしていたら

「さて! では、そろそろ集合写真を撮りましょう!!」という事になり( ・◇・)?

「センセも入って下さい 入って下さい!!」と顧問の先生に引っ張られ
若い人達の陰に隠れるようにして 立つ事と相成った とんでもない事態。

私は 私個人の性格として
どうも 人付き合いが苦手らしい。
外面はいいんだけど、内心では 初対面の方には異様な緊張感を持ってしまう。
特に、人数が多くなればなるほど ずんずん腰が引ける。
と同時に 話が下手・・・というか 舌がもつれる (>;-_-)>

それらを 
ただひたすら 開き直りでカバーしている
誤摩化している だけなんですね。

そういう人間性に加え
非常勤 という立場なものですから
おのずと 五倍 六倍 くらいは腰が引けちまうわけで

正直言って 集合写真なんていいよ・・・てな気持ちであったわけです。

しかし、まあ、そこで「わたしゃ ごめんこうむります」というのも
非常に大人げないので、
ズルズルと 生徒さんの後ろに隠れ気味な位置に立ち
「頼む! これで 撮ってくれい」と思っていたら

写真を撮るOBが 私の前にいた生徒に
「キミ、ちょっと左に」とか言って よけてくれちまう・・・(((( ;  ̄Д  ̄`)))
という事はあったのですが・・・・・・・

かわいい美術部員や卒業生さん達と同席して写真を撮った!
もしかしたら それを 記念に貰えるかも?? という
とっても嬉しい期待を
今になって 内心 持ってます (^∀^`;

ここのガッコの生徒達の多くが
というか、どこにでも 必ずそういう若い人はいるのですが
本当に ステキな人間性を持っているのです。

感謝の念 を持ち
謙虚な気持ち を持ち
四苦八苦しても、何とか前向きに取り組もうとする姿勢 を持ち
それを 
素直に 態度や言葉で表すことができる という人間性

当たり前 と言われたらそれまでだけど
でも そういうものを持ち合わせていない大人だってどれだけいるか を思うと
こういう若い人達がいるなら
日本はまだ 大丈夫かな? なんて 
偉そうに思ってしまうわけです。

うーーーーん・・・
やっぱり やっぱり
若い人達が 希望を持って生きて行ける世の中に せにゃいかんなあ


< ↓ これは こないだの絵画教室で 卒業して行く子達に用意した
ナッツ入り乾燥イチゴトッピングチョコ ・・・なんかマズそうだな・・・(´ω`; >

2013年3月13日水曜日

新たな一歩

今日は 一つの職場の「卒業式」でありました。

ここは、四月から行かなくなる仕事場です。

別の職場が 来年度一コマだけ授業が増える事になり
そのため、二つの職場での兼任が難しいという状況になったので
ここを 諦める事にしたのでした。

時間数としては減る事になるし
ここも好きだったので悩んだのですが
やはり 生活重視になっちゃうんですね。

「もう一つの職場一本のみ」 と
「ここと あちこちを兼任した時間数」 とを比較すると
可能性としては 前者の方がまだ時間数は多い可能性がある 
という事になるのです。
こういう働き方を選んだ自分の責任 という事でしょう。

後任の先生に迷惑かけぬよう
しっかりと片付けておかねば・・・と
前から「行かなきゃ」「行かなきゃ」と思いつつも 
なかなか行けずにおりました。

二年時のみ芸術の授業があり、三年時には
運が良ければガッコのどこかですれ違うことができる:結構 年中すれ違うことはできた
という仕事場でしたが

彼らの卒業の時には 式には出なくとも 傍で祝いたいな と思っておりましたので
本日 出向いた次第。

在職三年の間に何となく溜まった段ボール箱 とか 不要になった雑誌 とか
或いは 紙類・書類&戸棚の整理などを してきました。

式が終わり、生徒達が大勢外に出て来て。
美術室は 古い棟の二階にあるのですが
その向かい側の部屋で一クラス、最後の締め をやっていたみたい。

「おお、先生も生徒も みんな元気で別れを惜しんでいるんだね」と思いつつ
準備室を掃いていたら
「センセ??」「センセ〜〜???」と 男の子の声。

「ホイ!なんじゃい?」と顔を出したら
卒業して行く生徒達でした。
「センセ、卒業式には出ないで 掃除なんかしてんのかよお!」と。

「えっへへ そうなんだよ〜」と言いながらも
「ご卒業、本当におめでとうございます」と頭を下げたら
それぞれが 恥ずかしそうに 嬉しそうに
「え・・は・・・はい・・ありがとうございます!」と 答える若人達。
ヤンチャな子も サボり気味だった子も
こうなると 本当に なんて言ったらいいか・・・
みんな かわいい子達だなあ! となっちゃうわけです。


そのあと、
いつもふざけて 私を「ママ」呼ばわりし続けていた別のグループと出会い
「もう 胸が一杯で 涙が出そうだよ〜」と言ったら
「またまた〜〜 こんな事言ってらあ〜 ウソウソ〜〜!」など言われ
 「ママ〜〜〜!」と抱きつかれ

ここでも「卒業、ホントにおめでとうございます!」
と、頭を下げながら肩を抱き。


何人かの男子生徒と女子生徒達と挨拶を交わしたあと
用があって出向いた 別の場所で
また「せんせーーーーー!!」と呼ばれたのです。

眼鏡をしてなかった私の目に映ったのは
手を振りながら駆け寄って来る 顔が判らん女生徒2人。

多分 卒業生だと思いつつ 歩みを進めたら
目を細めて 口元をおおいながら 駆け寄って来る
「ああ〜〜 あの子だ あの子達だわ!」^▽^

嬉しくて笑ってるんだ とばっかし 思ってました。
けど、ここでも「おめでとうございます」と頭を下げ 顔を上げたら
彼女達 泣いてたのでした。

「センセ、私 センセのエプロンの この刺繍が大好きで
粘土で 同じようなマトリョーシカ作ったんですよ〜」と
目を 真っ赤にして 言うのです。

「センセ、私 美術の授業 ホンッットに好きだったんですよ〜〜」と言う彼女の
透き通るような頬に 
ダイヤモンドみたいな涙が ポロポロとこぼれ落ちるのです。

「もう、あたしゃ なんて言っていいか、言葉がないよ・・・」と言いながら
私も 泣いてました。

彼女達の髪を撫でながら
「そうだね 覚えてるよ。コロコロと 安定しないマトリョーシカだったね」
「授業 好きでいてくれて、ホントにありがとう」

そして
「私、あんまり寿命ないからね
死んだら あなた達を見てるからね」と 考えもなしに言ってました。

「 今の時代、本当に大変だけど・・・
あんまり 無理しないでね
頑張るのも大事だけど・・・でも 無理しないで
ちょっとだけ頑張るんだよ 」

かわいい かわいい あの子らには
こんな社会情勢の中であっても やはり 幸せになって欲しい

若い人達に 
小さくてもいいから 
たくさんの喜び 楽しみ 幸せ が ありますように

2013年3月11日月曜日

あの日の記憶

あのとき
私は チョビと土手を歩いていました。
何の気なしに 昼の散歩に出たのです。

< ↓ あの日 のチョビではありませんが・・・ >


空は青かったし、空気は爽やかで
なんとも穏やかな昼下がりだった という記憶しか ありません。

土手の中程まで歩いた辺りで
突然 地面が微妙に揺れているのに気付き
「外を歩いているのに揺れを感じるなんて
結構 大きな地震なのかも・・・」と思っている間にも

揺れは大きく 大きくなり始め
ついには 立っていられなくなり
思わず 地面にしゃがみ込んだ
それほどの揺れでした。

「チョビ! こっちにおいで!!」と叫びながら手を振りつつも地面に座り込んだ私
には目もくれず
四つ足のチョビは 不安そうな顔付であちらこちらを見渡しながら
ふらつく足で 必死に踏ん張っておりました。
(そのとき「あーー・・・チョビにとっては 
人間って頼りにならないんだぁ〜」って思った)

眼下の水路では 水が溢れるほどに「ジャボ〜ン ジャボ〜ン!!」と
大きく横揺れしており
地面が「ミシミシ」と 
まるで声にならぬ悲鳴を上げているかのようでした。

そして私は「土手が 裂けるかもしれない」と思いながらも
座り込んだまま動けず・・・

「もし 土手が裂けたなら このまま 動けないまま堕ちて行くんだろうな」
と思いながら感じた 
「地面が揺れる」事に抱いた ベソかきそうになるような恐怖心 
そして「一体 どれだけの被害が出たのだろうか」という 恐れにも似た不安
今でもハッキリと覚えています。

農家の家の屋根の瓦がバラバラとなだれ落ち
立派な石塀は 上一段が 殆ど全部
崩れ落ちていました が・・・

その後のテレビの中で見た あの 津波 津波
容赦なく押し寄せる津波の群れ

そして 原子炉の爆発映像

全てが 悪夢でした。

津波が 
無数の命の息づく土地を 家を 道路を 田畠を
平然と飲み込んで行くあの映像に
私は 自分の身の内に
自分のルーツを切り刻まれるような痛みと 絶望と 
言葉で表せぬ悲痛な叫びを感じたのです。

「逃げて逃げて逃げてーーー!!」と叫んでも なんと無意味な事か。
あれほど 自分のあまりの無力さを突きつけられる事
胸を掻きむしられる思い
阪神大震災の映像を観て以来のものでした。

皆様は あのとき どのようでありましたか?

あの時以来、あの映像と それを目の当たりにした時の気持ちが胸を去らず

あの津波にさらわれ 
否応なしに この世を去らざるを得なかった多くの魂を忘れることができず

残されて 逝かねばならなかった大小様々な命を忘れることができず

その 無数の命のために 絵を描きたい と思い続けてきました。
何年かかるか判りませんが・・・

あの日から
二年目の今日を迎え
新たな思いを抱きつつ 
鎮魂の祈りを捧げます

2013年3月6日水曜日

生きて行く過程

自爆込みで色々ありまして
しばらく 強烈な自己嫌悪に陥っておりました。
それに加え、あっという間の「三学期突入」ってのもありで
かなり ご無沙汰していたところでございます。

ここまで強烈な自己嫌悪も久し振りでした。
あまりに情けない自分自身の在り方に
心底 嫌気がさした。
自分の存在自体に嫌気がさした。

事態の収拾を図るため 同僚には顛末を説明しましたが
あまりに情けない状況で 友人身内には話す事ができません。
多分 墓の中まで持って行く事になるでしょう。

しかし
それでも 生きてるからなぁ〜
生きている間は 生きなくちゃならんからなあ〜 と
ひたすら 自戒と自省と自分の在り方に付いて
布団の中で考え続けていた何日間か。

恥をまき散らしながらも 生きている間は生きねばならんのです。

それに加えて チョビがいなくなった事への喪失感も手伝い
何をする気も起きず
本当に 庭は荒れ放題でした。

しかし

シロアリ対策で
植え替えねば「ちょん切って枯らすしかない」玄関脇のプレハブに沿わせた薔薇や
カロライナジャスミンがいる・・・

こんな時期ですが
昨日 やっとの思いで 庭に植え替えました。

根が付いてくれるかどうかは 全く判りません。
けど、切って 枯らしてしまうよりは ナンボか まし と。

< ↓ マメのお墓に 1年間 大事(?)に育てたクリスマス・ローズの苗を。 >


チョビや マメの事など思いながら
今日もまた
庭に散乱していた枯れ枝や
薔薇の枯れた枝などを切りつつ
片付けていたとき

不意に
そよ風の如く 小さな鳥が飛んで来ました。
そして 1メートルほど目の前の 薔薇の小枝に ふわりと止まったのです。

地味な うぐいす色をした 小さな 小さな鳥が
ささやかな声さえ発せず 飛ぶ立つ様子も見せず 
枯れ枝をビニール袋に入れている私を見つめるのです。

「キミ まだ若いんだね?」と 手を休めず話しかける私を
尾を振りながら 小首を傾げて 黙って見つめているのです。

なんだか
涙ぐんでしまうような ひととき で ありました。

< ↓ 明日か明後日には ついばんでくれる事を 祈りつつ >


< ↓ 大きくなりましたか? そろそろ お玉を取りに病院へ・・・と思ってはいるのですが >