2013年3月11日月曜日

あの日の記憶

あのとき
私は チョビと土手を歩いていました。
何の気なしに 昼の散歩に出たのです。

< ↓ あの日 のチョビではありませんが・・・ >


空は青かったし、空気は爽やかで
なんとも穏やかな昼下がりだった という記憶しか ありません。

土手の中程まで歩いた辺りで
突然 地面が微妙に揺れているのに気付き
「外を歩いているのに揺れを感じるなんて
結構 大きな地震なのかも・・・」と思っている間にも

揺れは大きく 大きくなり始め
ついには 立っていられなくなり
思わず 地面にしゃがみ込んだ
それほどの揺れでした。

「チョビ! こっちにおいで!!」と叫びながら手を振りつつも地面に座り込んだ私
には目もくれず
四つ足のチョビは 不安そうな顔付であちらこちらを見渡しながら
ふらつく足で 必死に踏ん張っておりました。
(そのとき「あーー・・・チョビにとっては 
人間って頼りにならないんだぁ〜」って思った)

眼下の水路では 水が溢れるほどに「ジャボ〜ン ジャボ〜ン!!」と
大きく横揺れしており
地面が「ミシミシ」と 
まるで声にならぬ悲鳴を上げているかのようでした。

そして私は「土手が 裂けるかもしれない」と思いながらも
座り込んだまま動けず・・・

「もし 土手が裂けたなら このまま 動けないまま堕ちて行くんだろうな」
と思いながら感じた 
「地面が揺れる」事に抱いた ベソかきそうになるような恐怖心 
そして「一体 どれだけの被害が出たのだろうか」という 恐れにも似た不安
今でもハッキリと覚えています。

農家の家の屋根の瓦がバラバラとなだれ落ち
立派な石塀は 上一段が 殆ど全部
崩れ落ちていました が・・・

その後のテレビの中で見た あの 津波 津波
容赦なく押し寄せる津波の群れ

そして 原子炉の爆発映像

全てが 悪夢でした。

津波が 
無数の命の息づく土地を 家を 道路を 田畠を
平然と飲み込んで行くあの映像に
私は 自分の身の内に
自分のルーツを切り刻まれるような痛みと 絶望と 
言葉で表せぬ悲痛な叫びを感じたのです。

「逃げて逃げて逃げてーーー!!」と叫んでも なんと無意味な事か。
あれほど 自分のあまりの無力さを突きつけられる事
胸を掻きむしられる思い
阪神大震災の映像を観て以来のものでした。

皆様は あのとき どのようでありましたか?

あの時以来、あの映像と それを目の当たりにした時の気持ちが胸を去らず

あの津波にさらわれ 
否応なしに この世を去らざるを得なかった多くの魂を忘れることができず

残されて 逝かねばならなかった大小様々な命を忘れることができず

その 無数の命のために 絵を描きたい と思い続けてきました。
何年かかるか判りませんが・・・

あの日から
二年目の今日を迎え
新たな思いを抱きつつ 
鎮魂の祈りを捧げます

4 件のコメント:

  1. 今日のあの時間に全員で1分間の黙とうで鎮魂の祈りを捧げまた。
    2年前のあの時、机に向かっていてユラ~とした揺れに一番に気がつき「地震ですよ!」との私に周囲の人は『え~?』と反応し始めたとたん・・・!!
    私の机の引き出しが飛び出しました!衝立が倒れそうになったり、周囲の人の机の書類が崩れ落ちました!!
    すぐにテレビをつけて~
    『家が心配だろうから帰っていいよ!』そう言われ、ヘルメットを渡されて外へ出たところでまた大きな揺れで、思わずガードレールにつかまったほど! 遠く離れたここでもそれ程大きく揺れたのだからと思うと、その後のテレビの映像を言葉も無く胸を痛くして観る事しか出来なかったです。
    除塩目的のヒマワリを植えると聞いて、手元にあった種を全部送ったけど、心ばかりのお見舞金も送ったけど、それでも心は晴れませんでした。無力だな~って、自然の前では何とちっぽけなんだろうって思いましたね。
    地球が悲鳴をあげているのでしょうかね?
    怖いです!

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  2. こんばんは フロールさん

    私は 書いたように外に居たので
    家の中での あの地震の怖さは知らないんだよ。
    連れ合い殿が 本当にビクついてたもんね ( ̄¸ ̄`

    そっかぁ 引き出しが飛び出したんだ・・・(>;-_-)>
    でも、必死で何かにかじりついてるだけで
    ホント、何もできないよね ああいう時って ><;

    そうそう!あのあとの 余震が またすごかったよね。
    何度も何度も大きな揺り返しが来て
    そのたびに 連れ合い殿は一人で家から飛び出してたよ。
    フロールさん、よく おうちに帰り着けたね・・・

    うん・・・無力さを これでもかってくらいに突き付けられた。
    自然が こんなふうに動く時って 
    実に自分達の小ささを思い知らされます。
    自然に勝てるわけがないんだよね・・・

    あの時 フロールさんが ヒマワリの種送る! って言ってたの
    よ〜く覚えてるよ。
    私も 何度か寄付したけども・・・役に立つほど送れないって
    哀しいなぁ と思ったなあ。

    だから というわけでもないけども
    ユニ@ロの社長さんが 億単位のお金を即座に寄付した 
    という話を聞いた時には なんていうか
    頭が下がった・・・ヨ。

    しかし
    それらを 復興のため「だけ」に役立てることができない政府
    これには 未だに「どうしてくれよう!」ですね 私 (`ε´)

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  3. そちらは大変だったんですよねぇ・・・(被害がないにしろ揺れが)

    私もあの日 娘の就職決定がダメになった日でもあり色々とあったから覚えてますけど・・・今日 UPしたようにかなりTV見過ぎて私もかなりおかしくなってましたわ ^_^;

    津波の凄さや逃げる人より一番ショックだったのは翌日だったか翌々日だったか『どこそこの浜で何千体だかの遺体が・・・』って聞いた時は想像しただけで大袈裟じゃなく卒倒しそうでした。。。


    昨日も「どうして朝出て行ったあの子が・・・」とか今朝も両親とご主人と娘さんを亡くされたご婦人を見てたら涙が止まらなかったです。。。
    (なので会社に来たら目の周り真っ黒でしたw)

    今は私は何にもしてなくて 復興は進んでも心の傷やどうしても戻れない故郷や・・・ ビミョーですけど進むしかないんですよね。。。

    こちらでもその頃 東京で働いてたからもう行きたくないって戻って来てる人や連絡とれずに心配してる友達が「戻って来なさい」って言っても戻らない子や色々だけど忘れちゃいけない日ですよねぇ・・・

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  4. ありがと padmeさん ^ー^

    padmeさんのあの日は 娘さんの就職がダメになった日 
    でも あったのか・・・
    そうよね テレビを観てるだけでも やり切れなくなった人
    殆どだと思う。

    私も 二日目くらいだかに
    300体以上の遺体を見つけた というのを聞いて
    愕然としましたっけ。
    「なんで なんで そんなに どうして・・・」と
    思考が追い付かなかった気がします。

    小学生の女の子が
    近所のオバさん達に挟まれながらも
    小高いところから 海に向かって「おかあさ〜〜〜ん!」と呼ぶ
    その 声が 切なくて切なくてね・・・

    何もなければ もう少し 復興は進んでいると思う。
    政府が、国民の事を第一に考えていないのがあからさまだから 
    遅々とした現状であるのだろうとは思うんだけど
    そして、それはそれで どうしても怒り心頭なんだけど

    やはり 一番の問題点は 原発だ と思う。
    放射線がある限り あの辺り全域は
    復興どころか 人さえ入れないからね。
    実のところは 多分 関東全域 汚染されてるだろうな
    とは思うものの
    少なくとも の 現地の復旧 復興は
    人間の手にはあまるのかもしれないな・・・とさえ感じます。

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