2011年10月28日金曜日

爆弾投下

本日 最後の授業で。

その一コマ前の
一年生の授業で使っていた「油絵 静物」のためのモチーフ
 前の前の前の授業の時から
「モチーフには絶対触らん事! 触っちゃ ダメヨ」としつこく念押ししてたのに

二年生の誰かが 黄色いテニスボールをどこかに隠し
石膏の三角錐を倒し。

一目見て 瞬時の 癇癪玉炸裂 と 相成ってしまったのですた

胃の腑の底から
「この モチーフを イタズラしたの.....
どぅあ〜〜れどぁーーーーーっっっっっ!!!!!」

「ぶぁっっっかも〜〜〜〜〜んっっっ!!!!!!
あんだけ 触るなっつっとったじゃないかぁっっっっ!!!!!!」ヽ(*`Д´)ノ
「どこに隠したぁっっっっ!!!!!!!」ヽ(*`Д´)ノヽ(*`Д´)ノ
「ざけんじゃ ねぇーーーーっっっっっっ!!!!!!!」ヽ(*`Д´)ノヽ(*`Д´)ノヽ(*`Д´)ノ
 と もう ヤクザのオバハン

前列の生徒達が アタフタと
下向いたり 上向いたり 横向いたりしながら
「おい.....怒っちゃったよ」
「怒っちゃったよ」
「怒ってるよ〜」
「誰だよ〜 そんなイタズラしたの〜」
「マジ 怒っちゃったよ〜」
「怒らすなよ〜〜」
「止めろよな〜 そんないたずら〜〜〜」
と ヒソヒソ言い合ってる。


チャイムも鳴ったし
一応 三角錐も直し テニスボールも見つけたので
「ンでは 授業を始めるっっっ!」と 鬼の形相のまま伝える。

当番が「きり〜〜〜つ」とか言ってんのに
まだ トロトロと動いたり くっちゃべってるのがいたので
「おまいらっっ! いい加減 真面目にやれぃっっっ!! (*`Д´)ノ
『起立』と 言っとろうがっっ!(*▽Д▽)ノノノ」と
腹の底から怒鳴ったら さすがに「し〜〜〜〜〜〜...........ん」となり

いつもの挨拶を止めるのも変だし.....と思いつつ
「(低い声から)よろしく...(徐々にドスの利いた太い声に)お願いしますっっっ!」
と言ったら
「お願いしま〜す」と言いながら クスクス笑っとる生徒がおったので

「いいかっっっ
二度とこんないたずらすんなっっっっ!!!!!!!
油絵始めた一年生が どんだけ困るか考えろっっっ
おまいら、二年生のクセして 一年に迷惑かけんじゃ ねぇっっっっっっ!!!!!!!!!!」
「次は 二度とないぞっっっっ!!!!!!!!!」と
教師にあるまじき 超ド級の脅しをかけた。


そしたらまた
最前列の生徒達が ヒソヒソと
「も〜〜〜〜 誰だよ〜〜〜〜〜〜」
「マジで 怒ってるよ〜〜〜」
「も〜〜 こんな事 すんなよ〜〜〜」と
誰に向かって言ってんだか 
同じ事を繰り返してた。

心の底から怒ったわけじゃないが.....というか
心底怒る っつう事は 基本的にはしないのだが
ここで 叱っとかないと 
「最大級に怒った」ふりでもしておかないと
多分 二度三度と繰り返すだろうな〜 と思ったので
「怒り心頭に発す!」を表現したのだった。

えへっ
けど 多分 その時のワタシの毛髪は天を突いてた! と思うヨ〜〜〜(^▽^

けども やはり 疲れますた。

その後は まあ 真面目にはやってたけど.......

これもまた 
二度も三度も四度も繰り返して「着ないシャツか エプロンか前掛けか、
どうしてもなければ 使い古しのシーツでもいいから
油絵の具が付いてもいいようなもの 持っておいで」と忠告してんのに 持って来ず。

結局は「センセ......付いちゃったんですけど....」と困惑し切った表情で
絵の具が ペトッと付いたシャツや学ランを見せに来たり するのでアル......

しかも 大抵が 同じ生徒。
......何なんでしょか この 学習能力のなさ

毎回毎回毎回 必ず 二人や三人はこんな具合に訴えて来るので
先日「わたしゃ もう洗濯オバハンはしない!
絵の具が付いちゃっても 自己責任で収めろ!」と引導渡したんだがなぁ。

どんなとこでも やはり 似たり寄ったり なんですね
と思った一日でした。

ということで
お口直し.......
まだ 天空で咲く 青い朝顔 と 紅いルコウ草

あ。。。。。ルコウ草 ボケてる......(;゚д゚)(^▽^;

2011年10月13日木曜日

ハイ

おこんばんは。

もしかすて
また
応答拒否してる?

すんませんなぁ お友達〜〜

2011年10月11日火曜日

描こう描こう と思いながら(別枠:年 について)

ちっとも 自画像描いてません。
ここに。
ハイ、例の ヤツ。

で、話は「別枠」に移行。

10代から20代....までは まぁ そんなでもなかった。
けど、20代から30代に入った途端
徹夜が めっぽうダメになった。
これは確か やすたね氏と どこかで話した記憶がアル。
たかだか一晩の徹夜でも 回復するのに三日四日かかってしまうようになったのだ。
それも 「あ〜る日突然〜♪」に

そして 打ち身 ね。
突然 いつまでも残るようになった。
しかも、黄色いままで.......(´・ω・`;
「ゲッッ これって.....バアちゃんみたいじゃん!(;゚д゚)」

でも、こんなのは 別に対した事じゃなかった。
「ひゅ〜〜 ここまで 年をとったのね〜」くらいなもんで。

「目からウロコ」だったのが 50代に入ってから!
これまた ある日突然 夜 眠れなくなったのだ。
まぁ、ホントは 眠れなくなったのは49才の時だったけど ^△^;

31才の時、
高校時代の恩師のお葬式の帰り、同行した後輩から
電車の中で「先輩!先輩は人生無駄にしてます!!」と言われるくらい
寝ていた自分が,
ある夜を境に 眠いのに眠いのに眠いのに 眠れん......になった。
これは 本当に参りました。

しかし、無精者の私は それでも医者には行かなかった。
「とことん眠たくなったなら 眠れるだろう....」という事で
二度寝も三度寝もできなくなった我が身を
「おう!これが年をとる という事だ!」と

「これが年をとる っつう事なんだよ ユミ〜〜〜!♬♪♩」と
なだめたり ワクワクしたり ドキドキしたり.....で
早い話が誤摩化していたんですね。

でも、その時の「コレが年をとるという事!」という驚きと納得は
真に「発見!!」の喜びに満ちあふれたものだった。
10代〜20代〜30代の変化の認知 とは 段違いの、
目玉が飛び出す程の あまりにもハッキリとした「大認識」だったのだ

それからというもの、ダダ漏れ式に
「これが年をとる という事かぁ!」
「これも そうかぁ!!」と 色んな面で体感して来たんですね。

突然の火照り:おお! 出た〜! 更年期!!! 体中に500個くらいの火炎放射器を内蔵だぁ!

目眩:ついに出た出た!! 真性の更年期じゃ!!!
(この時 ー 52〜3才くらい?ー マジで 夫婦の@回目の危機があった)

打ち身:原因が不明になる。(この頃から既に記憶障害は始まっていた んだな)

足元:真っ平らで何もない所で 異様につまづく。
 (丁度 母が入院した時で,妹と病院に行く途上 三回もつまづいた。
妹:「ブッ.....ネエちゃん......何もないとこで 何やってんの???(^▽^」
       私:「......知るか! アンタもじきに こうなる!」
ちなみに 開き直りは 既に高校時代からあったらしい)

そして 近年甚だしくなったのが
記憶:なくなる。(こないだ、ついに 生徒にお詫びした.....)

口:ろれつがおかしくなる。(こないだ、とうとう生徒から隠れた話題にされた)

まだまだ色々あると思うけど
今 ざっと思い出してもこんなもん。

「年取ったなぁ....」と感慨に耽ると同時に 
しかし、とっても面白いんですね これが。
「次は一体 どんな『目からウロコ』かぁ??^▽^」とか思っちゃう ンですね。

さんざん眼鏡を探して探して 探し疲れて
「あ〜〜〜も〜〜〜......一体 どこに置いちゃったんだぁ〜〜(TдT) 」と
ベソかきながら 頭髪を掻きむしったら そこに眼鏡があった......とか
これ、もう、サザエさんの波平さんの世界です。

変な話題でスンマセンでした。
今日は 先ほど帰宅して ちょいとハイになってるのかも.....ですね(^▽^;;

2011年10月10日月曜日

おかげさまで(偽の蜘蛛&は虫類か 両生類付き)

よそのお友達からの投稿が入るようになりました。
とにかく いつもいつもいつも やすたねさん 感謝×10 くらいです^0^

<お礼に サリーの写真 ね ^ー^; おやつの鰹節を食べてるとこです>


前から「判らなければ検索」と 息子に言われ続けていたのに
ここまで来ても まだそれが生かされておらんかった。

洞察力 以前の問題 かもなぁ

<違う子供会の子供神輿。少しは子供 おるなぁ>

私の使用パソは昔からマックでありまして。
これは 全く自分の意志ではなく、
ただ単純に、連れ合いが 言う通り する通り にしてきた結果。
私は こういうの どーーーでもよかったから(今も 殆どの事に関してどーでもエエ)

( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°

とはいえ、一番最初に「パソコン」として目にしたのが
弟関係から入って来た「アップル」というもので
当時はこれしかなかった ってのも 否応無しの事実。

それを作ったのが 先日亡くなられたジョブズさん と知ったのは
テレビのニュースで でした。

その直前に
パソを立ち上げ、Firefox開くたびに
画面大にジョブズさんの顔が大きく映るのを見ながら
「......これは 一体 何 のイベント??」と 
一日半ほど首を傾げ不思議に思ってたのだが
(^∀^`? (^▽^ ??  ( ̄▽ ̄`???

ニュースで聞いて「あ〜〜 この人が かぁ。。。。
56才で亡くなる とは なんてお気の毒な....こんなに若いのに....」と
何だかショックも受けたのでした。 (;゚д゚) !!!

その翌日、パソを開けば相変わらずのジョブズさんのお顔.....
しか〜し!
よくよく見たならば 
彼の顔の左側には「1955-2011」と 表示が。
ニュースで知った後だから さすがに「ピコーーーン!!!」と来はしたが

最初の段階で この数字が目に入らなかった とは どーいうことだ ??? と
「周囲」「近辺」を「見る」「視野に入れる」という働き 
すら なくなってきてる事にガックリ  ( ̄△ ̄;;

そして、ガックリ来ながらも
なにか 懐かしい ような   親しみを覚えるような数字......
を意識した瞬間
これまた 愕然としながら気が付いた
「おわっっ なんだ この人 私と同い年かよ.....」(´・ω・`) ;;;

 自分自身は「56になった もうじき 57になる。
なんて 年をとったのだ
疲れるようにもなったしなぁ〜〜〜  もう エエ年だわなぁ」と感じ
思ってるんだけど

人様の事になれば というか
人様の逝去 について言うならば
56 というのは ゴッツ若かったのだ。

 同じ数値なのに 
立ち位置の違いで発露する この受け止め方のあまりの差!
なかなか おもろいではないか と
一人で笑っていたここ二日ばかりでありました (^▽^(^▽^(^▽^;;;

ちなみに
彼が 莫大な財産を築いたその瞬間(23才? だったっけ ?? )
同い年の私は 
確か まだ 大学の三年生くらいでアタフタしていた.....ような気がする。
.....二浪しましたんで.....^0^;;;

<どうも、うまい具合に撮れなかったみたいだが。粘土作品「ピアノ」>


<蜘蛛と.....やもり?いもり??
この、両生類だか は虫類だかの動きと
目の表情が 素晴らしきかな!>

2011年10月4日火曜日

判らんのだ..... ( ̄д ̄;;;

前に貰ったプリントを見て
過去に直した部分がどうなってるか 確かめたんだが

直したところは 初期化されているわけではなかった。

だもんで
サッパリ 理解不能......


どうしたんでしょーねー.........
も少し 色々見てみようと思ってるが

私の脳では ただ見るだけ に終わる可能性200%
.......困ったでゴザル (゜∀ ゜; 

でも
いいんだ
見てくれるだけで
いいんだ ( ̄▽ ̄` エヘヘ.......  ^△^;

おはようございます!!!!!!^▽^

例の 強制「削除」〜「復活!!」から
また 私のブログは「よそ様」をシャットアウトしてる模様。
またまた 心優しいお友達が おせえてくれて
鈍い私は それで やっと「はっ......そうか.....!!」と 思い至り。

それまでは「.....?? 最近 お友達 忙しそうだなぁ」とか思ってますた  ( ̄〜 ̄;;

だので、またまたまた 
以前 やすたねさんから頂いた「処方箋」を片手に
「近日中」(ここ 大事)に「設定変更」に臨みます。 ドキドキ

うまくいくよう どこかの神様に祈りながら
一つの事しか出来ない私は とりあえず お仕事に行って参ります。
ンでは あじゃぱ〜〜〜〜 ♡ ♫ ♪ ♬ ♩  ( ̄▽ ̄ //
<昨日の続き。どこまでやられても 穏やかなコチャ。ま、目は 微妙〜に「来てる」が>

2011年10月3日月曜日

お祭り

土曜日の夜に行って 日曜日の夜に帰宅。
ま、いつものパターンです

子供の数が激減し始めてから 幾星霜。
今年はまた、異様に少なかった....
息子が小さな頃は それでも まだ いたよなぁ......と
なんだか 寂しくなっちゃって
実家の属する子供会の「山車」やら「神輿」やらが通り過ぎるとこ
写真に撮る気力さえ失われた

<よその子供会の 山車。それにしても.....少ないよなぁ 子供..... ( ̄△ ̄;;>

「駅前の子供会だから、尚更子供がいないんだ」って、オヤジさんが言ってた。
言われてみれば,確かに 他の地区の山車や神輿には
そこそこ 子供が群がっていたっけ。

退院して それほど日が経っていない妹だけれど
そして、実家から出て 小さなマンション住まいになった妹だけども
「焼きそばとかのお手伝い、お願いね〜〜」とか近所の人に言われて
またぞろ 断りもせず朝から手伝いに出ておった。

その前の晩
私が泊まった土曜の夜は........「寝よう」と言いながらも ついつい話し込み
結局のところ 外が白み始めて慌てて寝たんで
多分 4時頃ででもあったかしらん

ごめんね 妹よ!
私のせいで 寝不足になっちゃったねぇ

かく言う私も,昨晩は11時前には寝ました。
そして、今日もまた 早く寝る予定。
なんせ
疲れがなかなか取れなくなったから。

もう 徹夜なんてできない。
ってか、「徹夜したら あとが怖い!」と知ったのは とっくの昔でありまして
そうだなぁ 30過ぎてから だったかなぁ

10代の頃は 徹夜二晩続き なんて 屁でもなかったのに
30代に入った途端、「普通」に戻るのに 三日も四日もかかったりして.....
これじゃ とても採算はとれまへんので。
例え 一時間でも違う。
寝なくちゃダメ〜 なんですね

というわけで
早々に寝る事にする。

<おデブのコチャ とか たま とか サリー とか。
そういや、今回は珍しくサリーが顔を出し、「遊んでくれろ」と催促したのでした>










<午後のおやつ の「鰹節」を待つ コチャと たま。
時間が来ると たまが「カツオ!カツオ!」と催促するのでス>

<どんな事されても たいていのとこ 怒んない ワンコみたいなコチャ。かわいス♪>

2011年10月1日土曜日

これから

実家に向かう予定。
今日と明日がお祭りだそうで。


やっと「今回は お赤飯作るの止めたの」と 母親が。

前から「疲れるから無理するな」と言ってはいたものの
お年寄りは 若いモンの言う事は ち〜〜っとも聞かないから.....

前の日から色んな料理を作っては 
訪れたものに 山ほど持たせて帰し
翌日とか翌々日には疲れが出て寝込んだりする。

それで 大変な思いをするのが いつも妹。

<結構前の夕飯。ゴテ盛り唐揚げ野菜類。......もう 手持ちの写真がない のヨ (^^;>


なわけで、「今年は作らない」と言って来た母親には
「偉い!」「よく決心しました!」と言いたいところなのだが

それでも、きっと 彼女は 内心では とっても作りたいんだろうな....
疲れても、自分が作って 子供達や 人様が喜ぶ
その姿を見るのが あの人には とてつもない幸せな事なんだろう
作ったものを あれこれ持たせてやる事が
何とも言えない喜びなんだろう と。

今夜 自分に体力的余裕があったなら
母の代わりに 作ろうか......とも 考えてる。(赤飯)
ただ どうしてもやる気が起きなければ 黙ったままで
何もしないで 帰宅の途に付く......つもり。

健康診断の結果が どうも良くないので
医者に行った方がいいかも.....と考えている ここ二日間。
何となく いつも頭が重いし 
いつも眠いし 耳の奥も腫れぼったい感じだし。

とりあえずは「一日に摂る水の量」に配慮しようと思ってるとこ。
水が不足しても 良くないんだってね。

< 生徒が 紙粘土で作った 立体。なかなか頑張って作ってくれた作品 で ス >