2013年3月13日水曜日

新たな一歩

今日は 一つの職場の「卒業式」でありました。

ここは、四月から行かなくなる仕事場です。

別の職場が 来年度一コマだけ授業が増える事になり
そのため、二つの職場での兼任が難しいという状況になったので
ここを 諦める事にしたのでした。

時間数としては減る事になるし
ここも好きだったので悩んだのですが
やはり 生活重視になっちゃうんですね。

「もう一つの職場一本のみ」 と
「ここと あちこちを兼任した時間数」 とを比較すると
可能性としては 前者の方がまだ時間数は多い可能性がある 
という事になるのです。
こういう働き方を選んだ自分の責任 という事でしょう。

後任の先生に迷惑かけぬよう
しっかりと片付けておかねば・・・と
前から「行かなきゃ」「行かなきゃ」と思いつつも 
なかなか行けずにおりました。

二年時のみ芸術の授業があり、三年時には
運が良ければガッコのどこかですれ違うことができる:結構 年中すれ違うことはできた
という仕事場でしたが

彼らの卒業の時には 式には出なくとも 傍で祝いたいな と思っておりましたので
本日 出向いた次第。

在職三年の間に何となく溜まった段ボール箱 とか 不要になった雑誌 とか
或いは 紙類・書類&戸棚の整理などを してきました。

式が終わり、生徒達が大勢外に出て来て。
美術室は 古い棟の二階にあるのですが
その向かい側の部屋で一クラス、最後の締め をやっていたみたい。

「おお、先生も生徒も みんな元気で別れを惜しんでいるんだね」と思いつつ
準備室を掃いていたら
「センセ??」「センセ〜〜???」と 男の子の声。

「ホイ!なんじゃい?」と顔を出したら
卒業して行く生徒達でした。
「センセ、卒業式には出ないで 掃除なんかしてんのかよお!」と。

「えっへへ そうなんだよ〜」と言いながらも
「ご卒業、本当におめでとうございます」と頭を下げたら
それぞれが 恥ずかしそうに 嬉しそうに
「え・・は・・・はい・・ありがとうございます!」と 答える若人達。
ヤンチャな子も サボり気味だった子も
こうなると 本当に なんて言ったらいいか・・・
みんな かわいい子達だなあ! となっちゃうわけです。


そのあと、
いつもふざけて 私を「ママ」呼ばわりし続けていた別のグループと出会い
「もう 胸が一杯で 涙が出そうだよ〜」と言ったら
「またまた〜〜 こんな事言ってらあ〜 ウソウソ〜〜!」など言われ
 「ママ〜〜〜!」と抱きつかれ

ここでも「卒業、ホントにおめでとうございます!」
と、頭を下げながら肩を抱き。


何人かの男子生徒と女子生徒達と挨拶を交わしたあと
用があって出向いた 別の場所で
また「せんせーーーーー!!」と呼ばれたのです。

眼鏡をしてなかった私の目に映ったのは
手を振りながら駆け寄って来る 顔が判らん女生徒2人。

多分 卒業生だと思いつつ 歩みを進めたら
目を細めて 口元をおおいながら 駆け寄って来る
「ああ〜〜 あの子だ あの子達だわ!」^▽^

嬉しくて笑ってるんだ とばっかし 思ってました。
けど、ここでも「おめでとうございます」と頭を下げ 顔を上げたら
彼女達 泣いてたのでした。

「センセ、私 センセのエプロンの この刺繍が大好きで
粘土で 同じようなマトリョーシカ作ったんですよ〜」と
目を 真っ赤にして 言うのです。

「センセ、私 美術の授業 ホンッットに好きだったんですよ〜〜」と言う彼女の
透き通るような頬に 
ダイヤモンドみたいな涙が ポロポロとこぼれ落ちるのです。

「もう、あたしゃ なんて言っていいか、言葉がないよ・・・」と言いながら
私も 泣いてました。

彼女達の髪を撫でながら
「そうだね 覚えてるよ。コロコロと 安定しないマトリョーシカだったね」
「授業 好きでいてくれて、ホントにありがとう」

そして
「私、あんまり寿命ないからね
死んだら あなた達を見てるからね」と 考えもなしに言ってました。

「 今の時代、本当に大変だけど・・・
あんまり 無理しないでね
頑張るのも大事だけど・・・でも 無理しないで
ちょっとだけ頑張るんだよ 」

かわいい かわいい あの子らには
こんな社会情勢の中であっても やはり 幸せになって欲しい

若い人達に 
小さくてもいいから 
たくさんの喜び 楽しみ 幸せ が ありますように

2013年3月11日月曜日

あの日の記憶

あのとき
私は チョビと土手を歩いていました。
何の気なしに 昼の散歩に出たのです。

< ↓ あの日 のチョビではありませんが・・・ >


空は青かったし、空気は爽やかで
なんとも穏やかな昼下がりだった という記憶しか ありません。

土手の中程まで歩いた辺りで
突然 地面が微妙に揺れているのに気付き
「外を歩いているのに揺れを感じるなんて
結構 大きな地震なのかも・・・」と思っている間にも

揺れは大きく 大きくなり始め
ついには 立っていられなくなり
思わず 地面にしゃがみ込んだ
それほどの揺れでした。

「チョビ! こっちにおいで!!」と叫びながら手を振りつつも地面に座り込んだ私
には目もくれず
四つ足のチョビは 不安そうな顔付であちらこちらを見渡しながら
ふらつく足で 必死に踏ん張っておりました。
(そのとき「あーー・・・チョビにとっては 
人間って頼りにならないんだぁ〜」って思った)

眼下の水路では 水が溢れるほどに「ジャボ〜ン ジャボ〜ン!!」と
大きく横揺れしており
地面が「ミシミシ」と 
まるで声にならぬ悲鳴を上げているかのようでした。

そして私は「土手が 裂けるかもしれない」と思いながらも
座り込んだまま動けず・・・

「もし 土手が裂けたなら このまま 動けないまま堕ちて行くんだろうな」
と思いながら感じた 
「地面が揺れる」事に抱いた ベソかきそうになるような恐怖心 
そして「一体 どれだけの被害が出たのだろうか」という 恐れにも似た不安
今でもハッキリと覚えています。

農家の家の屋根の瓦がバラバラとなだれ落ち
立派な石塀は 上一段が 殆ど全部
崩れ落ちていました が・・・

その後のテレビの中で見た あの 津波 津波
容赦なく押し寄せる津波の群れ

そして 原子炉の爆発映像

全てが 悪夢でした。

津波が 
無数の命の息づく土地を 家を 道路を 田畠を
平然と飲み込んで行くあの映像に
私は 自分の身の内に
自分のルーツを切り刻まれるような痛みと 絶望と 
言葉で表せぬ悲痛な叫びを感じたのです。

「逃げて逃げて逃げてーーー!!」と叫んでも なんと無意味な事か。
あれほど 自分のあまりの無力さを突きつけられる事
胸を掻きむしられる思い
阪神大震災の映像を観て以来のものでした。

皆様は あのとき どのようでありましたか?

あの時以来、あの映像と それを目の当たりにした時の気持ちが胸を去らず

あの津波にさらわれ 
否応なしに この世を去らざるを得なかった多くの魂を忘れることができず

残されて 逝かねばならなかった大小様々な命を忘れることができず

その 無数の命のために 絵を描きたい と思い続けてきました。
何年かかるか判りませんが・・・

あの日から
二年目の今日を迎え
新たな思いを抱きつつ 
鎮魂の祈りを捧げます

2013年3月6日水曜日

生きて行く過程

自爆込みで色々ありまして
しばらく 強烈な自己嫌悪に陥っておりました。
それに加え、あっという間の「三学期突入」ってのもありで
かなり ご無沙汰していたところでございます。

ここまで強烈な自己嫌悪も久し振りでした。
あまりに情けない自分自身の在り方に
心底 嫌気がさした。
自分の存在自体に嫌気がさした。

事態の収拾を図るため 同僚には顛末を説明しましたが
あまりに情けない状況で 友人身内には話す事ができません。
多分 墓の中まで持って行く事になるでしょう。

しかし
それでも 生きてるからなぁ〜
生きている間は 生きなくちゃならんからなあ〜 と
ひたすら 自戒と自省と自分の在り方に付いて
布団の中で考え続けていた何日間か。

恥をまき散らしながらも 生きている間は生きねばならんのです。

それに加えて チョビがいなくなった事への喪失感も手伝い
何をする気も起きず
本当に 庭は荒れ放題でした。

しかし

シロアリ対策で
植え替えねば「ちょん切って枯らすしかない」玄関脇のプレハブに沿わせた薔薇や
カロライナジャスミンがいる・・・

こんな時期ですが
昨日 やっとの思いで 庭に植え替えました。

根が付いてくれるかどうかは 全く判りません。
けど、切って 枯らしてしまうよりは ナンボか まし と。

< ↓ マメのお墓に 1年間 大事(?)に育てたクリスマス・ローズの苗を。 >


チョビや マメの事など思いながら
今日もまた
庭に散乱していた枯れ枝や
薔薇の枯れた枝などを切りつつ
片付けていたとき

不意に
そよ風の如く 小さな鳥が飛んで来ました。
そして 1メートルほど目の前の 薔薇の小枝に ふわりと止まったのです。

地味な うぐいす色をした 小さな 小さな鳥が
ささやかな声さえ発せず 飛ぶ立つ様子も見せず 
枯れ枝をビニール袋に入れている私を見つめるのです。

「キミ まだ若いんだね?」と 手を休めず話しかける私を
尾を振りながら 小首を傾げて 黙って見つめているのです。

なんだか
涙ぐんでしまうような ひととき で ありました。

< ↓ 明日か明後日には ついばんでくれる事を 祈りつつ >


< ↓ 大きくなりましたか? そろそろ お玉を取りに病院へ・・・と思ってはいるのですが >

2013年2月11日月曜日

1時間の散歩

昨日、連れ合い殿が「買い物に連れて行ってあげる」というので
身体の重い私は
謝意を現しつつ 渋々腰を上げ「某カインズ」に行きました。

そこで、久し振りに「猫の御馳走」を買い込み
帰宅の車中。
連れ合い殿が「ボクがいつも自転車で行く散歩道を教えるヨ ♪ 」と。

丸山公園 という 規模の大きな公園の一角に車を止め
歩き始めました。
が・・・・・連れ合い殿の歩調が異様に遅い。
わざと ゆっくり歩いているのかな? と思ったけど
そうでもない様子で
「どうぞ お先に」と身振り手振り声振り。
「え・・・真面目に遅いのか・・・?」(;゚∀゚)

付かず離れて 歩きながらも 連れ合い殿が
「なんでそんなに歩けるの? 職場で運動してるの??」とか
私には意味不明の事を訊いてきますので
「それ、どういう意味?」と訊き返しましたら
「 だって、そんなに歩ける筋肉が どうしてあるのかな?と思って」

「・・・筋肉増強運動してたからじゃない?(過去形ってとこが悲しい!)」
と答えたんだけど
歩き始めから そんなふうに のたまう根拠が 全く判らん σ(-''-)???

とにかく 距離が開くため
行く先々で 連れ合いを振り返っては「右? 左?」と身振りで訊ね、辿った道は
私:「なんだ・・・
以前 Kさん(連れ合いの名前)が 自転車で連れて行ってくれた道じゃん」
彼:「あ・・・? そ だったっけ?? ^▽^;」
 どうも、あの人 それを忘れてるらしい・・・ コワッッッ (>;-_-)>

川沿いの道に出た時、唐突に「ここ、猫スポットが幾つか あるんだ」と言われ
「えっっっ!? 猫だとぉ?!!」と思いつつ
何気なく右側を見たら
私の大好きな 獣道のような細い細い 丘に辿る道 。
思わず「こちらに行きたいな・・・」と 一歩足を進めたら
その左手に 踞る白黒模様を発見。

「ユミ、よく ここが猫スポットだと判ったねえ!」
「さすが!猫好き嗅覚!? 何となく猫の匂いがした??」と言う連れ合い殿に
「いや、ただ こういう道が好きだから 歩いてみたかっただけよ」と答えながらも
 こちらに向かって歩き始めた猫に
目は釘付け。

猫スポットがあるなら 事前に行ってくれればいいのに〜〜〜
そしたら 猫の餌でも少し持って来たのに〜〜〜
そしたら デジカメ 持って来たのにぃ〜〜〜!!!

散歩する人 自転車で通る人達が
餌をあげている とかで
なかなか体格のいい オスネコが
「おばしゃん、なんか 食べ物持ってるのかい?」と言いながら近寄って来る。


「ゴメンネゴメンネ 知らなかったから 何も持ってないんだよ ゴメンネ〜〜!」
と叫びながら撫でたら
「しっかたなぃなぁ〜〜」と文句言いながらも 首筋を伸ばして来た。

「ごめんね〜」連呼しつつ撫でていたら
後ろに立っていた連れ合いが 不意に「ホラ!鳥を食べてるよ!!」
ひょい と指差した右手後方を振り返ったら・・・
小さな羽毛が大量に散らばっていた・・・
あわわわ たくましいっス!! ( ̄▽ ̄`:

 犠牲鳥は ハクセキレイ ででもあったのだろうか・・・(´〜`;;。。

その後、牛達が日だまりで のほほ〜〜〜んとしている
その左手に また 一匹 白黒の 少し小さめの猫を発見。
連れ合いが 普段ここを通る時は 大抵 5匹くらいは いるのだそうだ。


その猫を見てたらしい初老の男性の脇で
「失礼しま〜す、写真 撮らせて頂きま〜す!」と猫に向かい挨拶しながら
写真撮影終了。


その猫も「・・・鬱陶しいけど・・・まあ いいわよ 
アナタの好きにしなさいよ」と 仰って下さいました。

出会ったのは 二匹だけだったけど
家ネコみたいに プクプクされた姿に
なんだか ホッとする柔らかな温かいものをもらい、嬉しかったです。

昨今、住宅街では「野良猫に餌をやる」なんて
大問題に発展しますからね・・・ ( ̄¸ ̄`







帰宅する車中で 何度か訊いて来るのです 連れ合いが。
「疲れた?」
「そこそこ疲れた? それとも 何となく疲れたかな〜 くらい?」
「それとも 結構疲れたな〜 くらい?」って。

だから お答えしました
「う〜〜〜ん・・・全く 何とも感じません」

そしたら 連れ合いが「えーーー!?・・・ユミって スゴいんだねえ」だって。
そういや あの人
車に戻った時に 息が荒かったな・・・(・〜・;)

車中の会話
彼:「ここまで歩けるんだったら じゃあ 
今度 ユミも 秩父の山登りに連れて行くかな!」
(↑ 若い友人と連れ立って 日曜毎くらいに出向いている。実は本日も出かけた。 )
私:「・・・(どーでも ええですよン わたしゃ)」

しかし、彼が、私の筋肉状況に関して、なんでそこまで執拗に疑問視するのか?
訊ねてみたら
彼曰く:「だって、いつも『疲れた』『疲れた』って横になってるから・・・」
体力 相当ない? = 筋肉 相当落ちてる? という思考経路だったらしい。

私:「『疲れた』とは言ってない。『眠い』と言ってるだけ」

* これだけは 事実です。なぜ そこまでハッキリ断言できるか?と言えば
私は 意識して、「疲れた」という言葉を使わないようにしてるからです。

本筋から外れるけど
小学生の頃、学校から帰宅して 何気なく「あ〜 疲れた〜〜」と言って座り込んだ私に
ちゃぶ台か何かを拭いていた母が ニコニコしながら言ったのです
「『疲れた』という言葉は なるべく言わないようにした方がいいわよ ^〜^
誰でも1日が終わる頃には疲れるものだし
『疲れた』という言葉を聞いただけでも 疲れるでしょ?」と。

母の その言葉に 言い知れぬ深さを感じた私は
それ以来 この言葉、出来得る限り発しないようにしているのです。

あ〜 さて。
話を戻しますれば
あの人が 普段 「妻」という私をどう思っているか 
そう思う結果に至る過程がどのようなプロセスを辿ったものなのか が
このような 些細な会話の応酬で、手に取るように判る場合が 多々 あるのです。

私の発した言語の持つ意味が
彼の脳に到達する前の シナプス付近で
微妙に違う意味合いのモノに変換されている という事実が

過去にも 現在にも こうして散在するわけです。
ま、ここまでくれば それも、再度 どーでもいいや的な事になるのですがね (^^;)

息子が帰宅した夕飯時にも
彼は また 言いました
彼:「足の筋肉 痛くない?」
私:「いーえ ちっとも!ま、出るとしたら 明日かもしれないしね」
彼:「しかし・・・一体 どうして そんなふうに 筋肉が付いたまま?」 
 ( ̄△ ̄; シツケーナー

ですから
おもむろに 両腕を後ろに組んで「スクワット」を始め
「これの おかげじゃない?」(ドヤ顔  ( ̄〜 ̄=3 )
 彼:「ん・・・だけどなぁ・・・」(??タップリ混在の ウムム(^Д^`; 顔 )

彼の「ユミの身体機能に感じる疑問」に対して、私が「???」なように
彼もまた 私の「スクワット運動」を目にしながらも
どうしても納得できない「?????」 を 持っているのでしょう。

これは これもまた「男と女の川」の間に存在する 相容れない理解し得ない何か
なのでしょうかね ^^

それか、彼の中にある心身共の「男性優位(限って言えば『オレ様優位』的)意識」の現れ
とでも 申しましょうか。
再々度、どーーでもいいんですけどね。

歩いている途中で、農家の方が出している「野菜店」を覗いて
「菜の花」二袋 「生のピーナツ」一袋 そして 「たくあん漬け」一つ
合計四点 400円分 購入致しました。

ワクワクしながら 炒ったピーナツは
炒り過ぎて 悲しい事になったのでした。
焦げ臭い・・・>< (´Α`)  


2013年1月29日火曜日

インタラクティブ・ライヴ 最終日

1月26日(土)
ライヴ最終日。
何とか 別の道を辿るべく 決意を固めた「馬骨」「有象無象」達。

最終日は 5列目の左側。
アンプは少し左寄りであったし
ここもまた 眼鏡なしで拝める! と
期待も大盛りで 着席していたのでした。


しかし・・・・・・・・・・・・・
登場された平沢さんの顔は
机上に置かれたレーザーハープに あまりにもキッチリと
まるで 何かの意図によってなされたかのように 隠されておりました・・・(´Α`)
拝見できるのは 彼がのけぞる時だけ (´;ω;`) ガックリ

さて さて そんな事は置いといて。
ここにきて やっと
どうやったら別の道を辿るか? が
判りかけて来た。

平沢さんのヒントは「3つの道程を考えた・単純」。

多分、2回ある分岐点で
1.)2回とも「右」をとる
2.)2回とも「左」をとる
3.)1回は「右」、もう1回は「左」をとる

という具合ではなかろうか? と。

だから 初日とは違った道程は踏んだけど
右を1回 左を1回 という「半分こ」の取り方をした2日目も
初日と同じ「成功路」となったのではないかと 思います。

とはいえ、左が先か 右が先か? で演奏曲目が変わって来て、
それゆえ「Caravan」が流れたのは初日だけ となった ?
かように 思われます。

とまあ、興味のある人しか判らないような「取り説」は終えて
本筋、図入りで展開・終了 致しましょう。

< ↓ 上記の如くに「解明した!」馬の骨の 1回目の分岐点に於ける叫び >


< ↓ 二回目の分岐点に於ける 悲鳴を伴った叫び >


* 以下 新たな世界に突入したのだが・・・・流れが殆ど思い出せん。
全く違うかもしれんが そうでないかもしれん。
しかし、流れ的にはこんなもん。

< ↓ 別の道を辿って 現れたのが この 変な人・・・巨大顔面男性 汗 >
風が吹き付ける浜に立ち尽くし、じっと耐えている姿が 哀れを誘う風情さえ。


< ↓ この、妙な横顔に連れられて 
何もないのに衝撃を受けてる外人男性のもとへ・・・ >

最初は 一体 この外人さん 何やってんだ? 酔っぱらってんのか?? と思ったが
私「ありゃあ 多分・・・『良心』に殴られてるんだよ」
息子「!ああ〜 そうかぁ!」


< ↓ 良心に殴られ続けてる外人男性から 魚の頭を持ったノモノスを手に入れ
それを握りしめたヒラサワ型ロボット「Σ-12」が 初期状態のノモノスを探しに出かけるが・・・ >


↑ 初期状態のノモノスは 時計台の時計の 長針の先にくっ付いており
それを 必死で取ろうと試みるΣ-12。
しかし、その手が届く直前、足を滑らせ、
おまけに揺れた長針の先から 眼下に堕ちて行く初期ノモノス・・・・・わーーーーー!

倉庫の屋根を突き破ったノモノスは 段ボール箱に穴を開けて落ちる。
と、その直後、ノモノスが開けた穴の上に バッチリ貼られる「運送表」
宛先は「 つくば山頂 平沢進 」

え・・・平沢さんちに 行く荷物かい・・・と 会場爆笑

かたや 右手で必死に堪えるΣ-12
ピシピシ落ちそうになりながらも 左手で 魚型ノモノスを空にブン投げる。
そして ビッグ・バン → 現世へ

* サンミア様は あれだけ頑張ったΣ-12の事を「ドジね」と切り捨てた。
かわいそうだよ パトラッシュ・・・


< ↑ 段ボールには ノモノスが入ってるんだろうか??と 興味津々で見守る馬の骨。
サッと取り出した その手には・・・ノモノスをくっ付けたハンドマイク >

*「困惑しつつ ハンドマイクで歌うヒラサワをご覧下さい」と
ネットには載ってました


ライヴ開始の一曲目と、この最後に歌われる曲は 編曲を違えただけで同じ曲です。

しかし・・・・・この三日間を過ごした今となっては
これを聴くたび 
「殺虫スプレーを噴射しつつポーズをとるヒラサワ」が浮かぶようになった私。

CDで聴いていた時とは全く違う性質のもの
実に コミカルな曲 に変貌を遂げたのでありました。

過去のインタラクティブ・ライヴに引き続き 
その異様な力を発揮したのが ネット参加者でありました。

彼らは 彼らのみに発令される指令コードをもとに「ノモノスの解明」に当る
んだそうです。(なんだかサッパリ チンプンカンプン?なんですけど)

それらが「弱い」(少ない?)場合は
力が足りずに「インタラクティブ」は終了する という流れになっているらしく、
その暁には「ただ歌のみ」になるのだそうで。
(違うかもしれないけど、とにかく 何かが少ないと インタラクティブは終了となる)

今回は 過去最多3000人参加 のインタラクティブ なのであったそうな。

私がもしもネットでしか参加できない となったなら・・・
多分 その「解明者」の一員には到底なれそうには ありません。
ネットで一見しただけで 目がチラチラしましたから (′A';

ということで
ライヴは ついに 終了致しました。

最後のMC、悲しい事に 殆ど覚えておりませぬ。
ゲストの紹介と アンコールの「ベルセルク・Aria」しか 覚えておりませぬ。
それでも
新たに沢山の思い出と 喜びと 幸せを頂いた三日間 でした。

ご清聴(読) ありがとうございました m(_ _)m

2013年1月28日月曜日

インタラクティブ・ライヴ−2

1月25日(金)

二日目のインタラクティブ・ライヴ

この日は 15列目 という事で
どんな席かな〜と 行ってみたら。

目の前が 会場真ん中の通路となっている、実に足が自由な席でした。
少しばかり後ろでも、前が空いてる というのは 見やすいですね ^ー^

今回のライヴでは 平沢さんの後ろに巨大スクリーンが張られておりましたが
基本的には前からの顔を拝見したい!ということで、
実家から借りた双眼鏡で時々見てました。
横から とか 斜め下から というのは 年中「DVD」で観てるので
スクリーンでそういう角度からの平沢さんを見ても、なんだか 実物観てる気がしなくて。

物語が進み、幾つ目かの曲目を歌唱中
その 異変は 突如としてやってきた。

間奏曲が流れる中、「さて、いよいよ歌詞を・・・」と 
息を吸い込んだ平沢さん。
実は 私も一緒に「息を吸い込」んで いたんですが (^∞^;)
突然「あれ?ここ、歌い始めるとこだったっけ???」という
妙な違和感でフリーズ。
ンでもって、目の前の平沢さんもフリーズ しておった・・・(;0Д0)??

「へ???」
「なに?」
「どゆこと???」ってな顔が
巨大スクリーンに バッチリ。


「そんなん わしゃ知らんがな」と 曲だけが流れる中
突然  
何事もなかったかのように歌い始める平沢さん。
スクリーンには
まるで 軍隊の「休め!」みたいな 直立不動の姿勢をとる平沢さんの後ろ姿。
目の前では やはり 直立不動状態で 声を張り上げる お姿が・・・

息子が笑いながら「ヒャーー!!」みたいな声を上げ 拍手したので
私も 一緒になって拍手致しました。
ホント
ライヴって 何があるか 起きるか判らないとこが コワいですねー ゾクゾクですねーー


さて
物語が進行する途中、分岐点を選ぶ機会が二度あります。(ボードゲーム!)
昨日 初日は「Good ending」の道程を辿ったので
次は別の道を見たい! という 馬の骨達。

舞台から客席に向かい、左右上方に伸びた 2本のレーザー光線のうち
「先に5回 触れた方の道を辿る」という仕組みで
観客席に投げ入れられる 巨大バルーン。

と、即座に 馬の骨達の一部から
「右〜〜〜〜!!」とか
「左〜〜〜〜!!」とか言う声が 飛び交います。
(私には女性の声しか聞こえないのだが・・・)


その「右」とか「左」とか 
どうしてそこまで自信満々に示唆することができるのか?
その辺りは 年老いて鈍った私には チンプンカンプン ですがね

とにかく、自信たっぷりの叫び声に身をゆだね
バルーンは 馬の骨達の 多くの手の運動により 
どちらかに移動しつつ 飛び跳ね
左右に伸びたレーザーの どちらかに触れるのであります。

それを 昨日とは違う形で二回 選んだんですが
なぜか 初日と同じく「成功裡」に終わってしまったのでした。

< ↓ 昨日同様、いや それ以上に舞台各所でポーズを決める平沢さん
そのたんびに わめく 馬の骨諸君 >


以下、MC 関連になるわけですが・・・
申し訳ないけど 記憶力がね・・・(^∞^;)
だから、この形で話が進行したかどうか、全く自信がないわけであります。
しかし、こんな雰囲気だった! という事で ご了承ください。ズビバゼム m(_ _;)m

< ↓ MC では 素晴らしい皮肉も登場。お定まりのように「えーーー!?」も >




< ↓ 「シンプル イズ ベスト!」というヒント を頂き・・・ >


それにしても この、馬の骨 有象無象の諸君の
あまりの素直さに 私は感涙したのでした チャンチャン

* この日は 息子が「仕事場にバイクを置いて来た」と途中下車し
私は 我が家のおわす駅から歩いて帰宅・・・していたところ
トットと帰り着いた息子が 車で 迎えに来てくれたのでした。

to be continued ・・・

2013年1月27日日曜日

インタラクティブライヴ「ノモノスとイミューム」−1

1月24日 木曜日

待ちに待った平沢さんのライヴ。

妹と渋谷のハチ公前で待ち合わせて
公会堂まで。
ハチ公って あんなに小さかったっけ?? ってくらい小さくて
ビックリしました。

公会堂も 行った事がなかったけど
ネットの地図を見つめ続けた その記憶を頼りに。

「入場6時から」のところを 15分くらい過ぎていましたが
既に 公会堂内では「物販の列」が大量発生。

長々と文字を羅列するより 
本日 実家より帰宅してから描いてた「その場の映像」を ご覧頂きます。

字が小さいので
注釈は付けようと思いますが
どうぞ ご覧下さいませ ^ー^”

開始 15分くらい前。
2列目で ホクホクしてたら なんとまあ
天井まで届きそうな 積み重ねられたアンプの ド真ん前! (′A';

こら・・・音が割れるな (´;ω;`)・・・と3人で覚悟を決めて
2列目の右端から 息子→妹→私 と並んで座っていたところ
私の左側の席に付くべく 若い女性がやってきた。

「済みません」「済みません」と言いながら通り過ぎようとした時
息子の私物につまずいて転びかけ「あ!済みません!」
体制を立て直した・・と思いきや 再び コケて「あ〜〜 済みません〜!」
と言いつつ 再々度コケて「済みません〜〜 ああああ 済みません〜〜〜!!!」

贖罪の言葉を連呼しつつ 私の左側に、荒い息とともに お座りになられました。
どうやら 物販に並んで、今 やっと買い終えて来た ご様子。


と、喘いでいた その若い女性、突然 グルッと私の方を向き
「あの、長いファンの方でいらっしゃいますか?」・・・(^∀^*)ゞ 年も年だしなぁ
 
その後 下記に載せたような展開を辿る  ↓



「平沢さんが登場したら 泣いてしまいそうです〜。
もし 泣いてしまったら ごめんなさい〜」と仰るので
「いいよいいよ いいんだよ〜 思いっきり泣いて下さいな。
始まったら この座席、大音量で 泣き声なんて聞こえないし」と。

最初の登場者は ゲストの女性でしたが
彼女に促された「ヒラサワCall(みんなで『ヒラサワーーーー!!!』と絶叫)」のあと、
暗い中を流れるように舞台に現れた平沢さんを見た瞬間
彼女はタオルで顔を覆ってしまいました。

二曲目が終わったあとも 泣いてて 顔をまっさらなタオルで被い続けてるので
思わず 背中を撫でながら
「あんまり泣いてると 平沢さんを観られなくて もったいないよ〜」と 言ったのです。
そしたら その直後・・・・・・!!! ↓




↑ 突然 マメを送った曲「Caravan」が流れたのです。
次の瞬間、私が 大泣きしてました。

マメの写真を抱きしめながら泣く私を
今度は 彼女が 戸惑いながらも 肩を撫でてくれまして

こんな具合に2人して、大音響叩き付けるアンプの前で アホみたいなこと してました。


なんせ 音量が ハンパない。
というか、女性の語りも 曲も 平沢さんの歌声も
割れちゃってて なんて言ってんのか・・・

私は 前もって聞き続けていたから「あ! これだ!!」って判るけど
妹は 全く判らなかっただろうなぁ〜〜〜 ザムネム


↑ 途中、機材が正常に働いていなかったらしく
上記のように 歌いながら「両手でバッテン!!」を出した平沢さん。
妹は それを「何かのパフォーマンス?」と 思っていた とか。

最後のMC 
やはり かんでました。
何がなんだかサッパリ理解不能 という妹でさえ
「あの人 あんなに歌がすごいのに
どうしてあんなに話すのがダメなんだろう ネ?」

今回の「ノモノスとイミューム」という「ボードゲーム的 物語」
会場のファンと ネット参加のファン達の努力により
初日から成功道程を辿りました。

最後は、現世界に戻って来た平沢さんが段ボールを開けると
「中の果物は腐っていた・・・」というオチで
箱の中で大量発生したハエが 後部のスクリーンに映し出される という仕組み。

ハエの大群に おもむろに取り出した殺虫スプレーをまき散らす平沢さん
そのまま スプレーを噴射し続けて 歌いながら舞台を一周して終わり
という行程でありました。


 ↑ 二列目 だから 平沢さんの顔を 拝見できました
とってもはっきりと! ^▽^
嬉しかったなぁ〜
(口を閉じてるのは 間奏曲だったから)
* MCで「二本のスプレーを発射し続けるのは 指がトテモ疲れた。」と仰ってました。

隣りの女性も 手を振って 拍手して
本当に嬉しそうだった! ^▽^。。
それに、途中のイベントで 会場の「馬の骨」達に託された
とてつもなく大きなバルーンに 触る事も出来た彼女!

「私、触れました〜〜!!!」って 何とも言えない
素晴らしい笑顔で こちらを振り返った時の
彼女の あの 顔
忘れられませんわ 私・・・ ^ー^

*ちなみに 少々泡食って書いたので 手直し あるかも・・・ I'm sorry!

二日目 三日目のライヴ
ちと 時間ないので to be continued・・・

2013年1月24日木曜日

ヒラサワ某氏のライヴ開催

初日から 色々ありました。
最終日の土曜は 実家に泊まる予定なので
後日 ご報告させて頂きます ネ ^ー^

2013年1月14日月曜日

気分は豪雪

ついに 降ってくれました 関東地方にも。
朝から フワフワと
雰囲気は柔らかだが 内実はしっかりしたもんで
あっという間に積もっちゃった。

< ↓ 我が家の玄関前 北側 >


珍しく、息子が「職場まで送ってくらはいますか?」と丁寧に言ってきたので
「うむ」と 偉そうに送ってきました。
 帰りに カインズに寄って 猫餌と 猫砂と 傘を購入。
(私の傘、いつの間にか二本も消えていた)

 買い物 正味30分くらいかかったくらいだったか
それでも 駐車場は 真っ白く、愛車は 雪に埋もれておりました。
なんという 溶けない雪! @0@

運転側の窓に ぎっちりと雪が積もっていたので
「ガラスを下げながら トトトト っと 雪を払い落とそう!」とスイッチを入れたら
「あわわわわ」と言う間に サーーーーッッ とガラスが下がってしまい
積もった雪は 殆ど全部 座席側に・・・ Σ(゚ロ゚ノ)ノ  (ノД`) (´;ω;`)

帰宅したら 連れ合い殿が
「you のスノータイヤの効きを確かめたい!」
「行こうよ」「出かけようよ」と 三回くらい せっつくので 
連れ合いの運転で土手を上り そこから グルリ 近所を一回りして帰宅。




  「あーー なかなかの冒険だった! 午後もまた一回りして来ようかな ♪」と

ルンルン気分 ハイ気味 の連れ合い殿を見て
「これが 男子 というものか・・・」と 
年取った女子 は思ったのでありますた。

家についてホッとしてたら 息子から
「・・・店を閉めるので これから電車で帰ります。」との電話があり

 「じゃあ、連れ合い殿! 午後も乗りたい って言ってたよね
駅までのお迎え お願いしま〜〜す!」。

しかし 待てど暮らせど 連絡が来ない。
一体 どこにいるのか? と電話してみたら
「駅にいるけど、電車が来ない」

連れ合い殿が調べたら どの線も
「遅延」じゃなくて「走ってません」状態でした。
 (あちこち かなりの路線が 止まってたようです)

「迎えに行こう!」
「でも、雪が相当降ってる って言ってるよ(庭も東北状態)。
それでも 迎えに行く??」
「う〜〜〜ん・・・行こう!!」(雪の中の運転にド級高揚を感じた積極性)
てなわけで 出発いたしました。

まずは 家から出るところで 車がスリップして・・・と
かなりの積雪量である事を再確認。
道路に出るまでの20メートルばかりは 10センチ以上の積雪でありました。

歩けるところまで歩く という息子と出会うべく
ごとごと ぐわぁらぐわぁら 車体を揺らしながら 走りました。

スノータイヤは ちゃんと 止まれる! って連れ合い殿は言ってたけど
雪の塊にタイヤがとられるのですね。
あれが やはり 怖いです。
明日 仕事場に行くの 車を使いたくない と 徐々に思い始めた私
電車か 歩きで行こうと決意を固めたのでした。

息子と出会い、帰宅の途につき しばらく走っている間に
雪の中に雨が混じり始めたので 先の見通しは明るいか? と
かなりの期待を持ってはおりますが・・・

なんせ、夜の冷え込みは あなどれないよね
明日は 絶対に 凍ってるよね・・・(´Α`)

さてさてさて
実は
いよいよ
再来週には 来るのです
来るのです アレが。
マメが来てくれた事で 
それだけになってしまい、お話しするの忘れていたのですが

チケット
実は チケットも 私の誕生日の午前中に届いていたのでありました。
第一日目の座席が なんと!!
二列目 ですぞっっっっっっ!!!!!! (n‘∀‘)η 
妹を誘ってのライヴ、この日が この席で 本当に嬉しいです ヽ(´▽`)/

わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜い ゾクゾクゾク〜〜〜!!!!!!!!!  ^0^ ^▽^ >▽<;;;
という日々を 地味に送っております。



最後に ・・・ちと 見苦しきものはあれど・・・

雪の積もったベランダに 飛び出て
まるで ワンコのように はしゃぐ おもち

で お別れ致します。 ^0^ ^▽^ ///



2013年1月10日木曜日

誕生日の 朝

見た事もない壁際から
そっと
密やかに 
遠慮がちに 顔を覗かせ

穏やかに私を見つめる マメ

「ああ、キミ! 今まで どこにいたの?」と
静かに 
静かに抱き上げた 

そんな夢を 見ました





2013年1月8日火曜日

仕事始めにあたって

新しい年が始まり はや半ば近く。
友人から届いた賀状には
「ゆみちゃんは いつまでもそのままで」と書かれており。


< ↓ 連れ合い殿に へばりつく おもち。「孫だ!」と言って抱き上げる連れ合い >


いつも 私を好意的に見てくれている 友 たち。
ありがたく思っています。

しかし、彼女の家の居間で晒した醜態は
「果たして そのままで いいのか?」という「マスク2枚」事件。

「アレを振り返ると どーしても何とかしたい!と思う。
けど、『何とかしたい!』と思って何とかできるレベルの問題じゃないよね。
あ〜〜〜〜・・・・・・・」と 返信した。

そして 本日。
息子に「古本屋にでも行かない?」と誘われて、
途中、息子が目指したケーキ屋さんに寄ったのだが
なんと、3軒とも閉店中。

「ごめんね 付き合わせて」と言われたので
「いや、問題ナシ。何かなくちゃ 腰を上げない人間だから
明日からの仕事を思えば 足慣らしだよ」と答えた。

あちこち回って時間ばかりが過ぎたので
古本屋は後日に回し、家の近場の店で 息子は買い物をしてた。
そして 私も その近くの八百屋で 息子に頼まれた「紅芋」と
バナナ を購入。

先日、正月三が日に、例年 一泊して行く息子の友達の他に
女の子2人 男の子1人の 計 3人が加わり、
5人で酒盛りをした時に 息子が作った「サツマイモスムージー」

 それを サツマイモの他の穀類で作りたいと言っていたので探した結果
珍しく 紅芋があったので それと バナナも購入した次第。
 (なぜか 里芋はなかった)

* バナナのアイスって 美味しいし
どんなに安いバニラであっても バナナを加えるだけで
実に 上品なアイスに変身するの ヨ ↑ ^▽^ ♪

車に戻った息子が、助手席に座った私に 買ったケーキを差し出しながら
「おめでとうございます」と。
てっきり 友達にあげるケーキを探していたのだとばかり思っていた私は
ぜんぜん ピンと来なかった。

私の誕生日がもうじきなので それで あんなに
ケーキ屋さん巡りをしていたのだった・・・・・。
嬉しかった です
とても 嬉しかったです

2年前の今頃、「誕生日はまだ ちょっと先だけど」と言って
平沢某氏のライヴチケットと ステキなイチゴケーキをプレゼントしてくれた事
思い出しました。
今日 たまたま はいていたズボンも
そのライヴ会場に向かう途中で スッ転んで膝小僧を破いたズボン。
(・・・知ってる方々・・・記憶に新しいでしょ? 汗)

本当に 嬉しかったです

しかし
そのあと 
自分は一体 何歳になったのか?
ここンとこで 怪しくなり通した。

私は いつからか 「私は 58才」と ずっと思ってたのね。
でも 他の人と比較して計算してみたら なんか へん。

今 58才だから すぐ来る誕生日で59才になるんだな。
そしたら 平沢さんは今度の4月で60か・・・ と思った時
あれ? 私の連れ合いと平沢さんは 同い年じゃないよな・・・???
じゃあ 連れ合いが61になるのか・・・?? σ(-''-;)

で、息子に「今年の干支はなんだったっけ?」と訊ねたら
「・・・そんな事 ボクに訊かないで下さい」 (>;-_-)>

 私:「今年は 2014年?」
息子:「・・・12年・・12年だから・・いや、13年になった のか?」( ・◇・)?

と、どーしょーもない会話を繰り返しつつ
頂いた年賀状を 記憶の底から ひねり出して
「確か ヘビの絵が描いてあったよな。
そしたら 連れ合いが 年男なんだ。
じゃあ 平沢さんは それより一つ下だから・・・あの方は今年 59になるのか?
じゃあ、私は・・・じゃあ 私は この誕生日で58なのか!?!」

(確か)昨年は、息子の年齢も間違えてて、「あの子の 29才 っつう年は
私の中でどこ行った〜〜〜!」と思ったんだが
今回は自分の年も 間違って認識してた。
「私の 57才 は どこ行った〜〜〜〜!!!?」 (((( ;゚Д゚)))

年の初め 仕事始め に こんなん ばっかし。
・・・こんなんで 
このままでいい わけ が
ないでっしょ (´;ω;`)(´Д`。。。

< ↓ どーしても チャタと触れ合いたい おもち >


< ↓ サッカー参戦 >