2012年6月24日日曜日

年の差

先日
夜中の「ニコニコに出演の平沢さん」を観て
寝不足だった私
つい 仕事中に
「....ああ 今日は 早く寝ないとあかんな...」
「筋肉増強運動してから サッサと寝なくちゃな...」とぼやいたら

その「つぶやき」に 若い人が食いついて来た。

以下
その 流れ


















「ニコニコ動画」って
「殆どが 若い人の視聴」って事なんですかね?
いや、若い人の「プッッッッ!」に
感情ではなく、精神面で真面目に「??」と 思ったわけで。

そして、先日の「ルコウ草苗盗難」に関しまして。
自分の心は ツイート返信のおかげで「100%切り替え」ができたんですが
残った二苗
これ、また 持ってかれたら......?? という微妙な不安感に揺れ続けており
故に 小さな立て札 立てました。
二本繋げて伸ばした割り箸で 立ててあります

これで.............二つの苗が、無事 ここに居続けたままに 
成長してくれればいいんだが (手前の「穴」が 抜かれたあと。
なんか、震えて 埋め戻し できない。
残った二苗は、この立て札の 後方に植わってます )




















< ↓ シャラの花 & チャタの あられもない お姿 >

2012年6月21日木曜日

哀しみの朝

今朝、仕事に出る前の ちょっとした空き時間
先日「移植したルコウ草」の様子を 何気なく伺いました。

芽が出るのにかなり時間がかかって
それでも やっとやっと出てくれた小さな苗三本
こないだ、玄関先、私の車の横に移植したのです。

ところが.....
道路っぱたの一カ所
すぽん!と 穴が空いており (・ω・;)

盗まれてました。
もう、愕然として 困惑して 持って行き様のない怒りも湧いて

でも 時間の経過とともに 悲しくて哀しくて やりきれなくなっちゃった。

それを 出掛ける前に、思わずツイートで愚痴ったのです。
「やっと芽が出たルコウ草を 玄関に移植したら盗まれた...泣ける」
「朝から絶望的に切ない。せめて 行った先で元気に育っておくれ (TдT) 」と。

そしたら、お互いフォローし合っている方が
「それは悲しいです。見つめ見守って育てていらっしゃったのでしょうに...
仰る通り、せめて盗まずにはいられないほどルコウ草を愛する人の手元に渡った事を
祈るばかりです」と返信して下さったのです。

その方は 毎日のように「筑波山」の写真をアップして下さってる方で
私は その写真を毎日毎日眺めて 仕事の疲れを癒しておりました。
そして今回
その方のこのような返信により
私の心は 救われました。
「そうだ......そうだ! きっと それほど欲しかったのだ。
だから きっと 大切に育ててくれるだろう」と

まるで「一面雲に覆われていた空が 突然晴れ渡った」かのよう。
私の心の暗い靄は、かの人の「盗まずにはいられないほどルコウ草を愛する人の手元に...」
という その一言で、まるで水に洗い流されるように 拭われたのでした。

「誰かに持って行かれたルコウ草よ
どうか 元気で元気で育ってね 涙」
そんな思いで一杯になり、返信して下さった方に深く感謝しつつ
仕事に出掛けました とさ。

2012年6月17日日曜日

あれから (蜘蛛付き)

一年が経ちました。
今日は、朝からとても慌ただしかったんだけど
マメの命日でもあったのです。

まずは 紫蘇を片付けたい!という一心で
半日以上、紫蘇にかかり切りでおりました。
ほんっっとに 疲れた.......
しみじみ 年齢を感じます。

アクを出した紫蘇を梅の上にばらまき、ジュースを半分作った後
マメの 土が少しへずれたお墓に 鰹節を持って
お参りしました。

もう少ししたら、
マメのお墓の脇に伸び切ってる「水仙」達を植え替えて
お墓に少し盛り土して
そして やはり スズランを.....植えたい。

マメの あの オットリした 優しくかわいい風情は
「表面だけ」眺めたスズランが似合いそう だから。

こんなに囚われる とは 自分でも想像すらしてなかった。
もちろん、当時から見たら、だいぶん落ち着いて来た「心の波」ですが

地球に息づく 多くの生き物達が 
出来得る限り、人間達のアレコレに邪魔されず
それぞれの在り方で その生を全うできますように

2012年6月16日土曜日

腑抜け

反動 来てます。
ライヴ終了してから 抜け殻のようになった心身は
日々の生活サイクルに取り込まれ、
「ボンヤリしたまま その流れに身をまかせ 」状態。


今日も なんだかすっごく疲れたんだけど、帰宅してから 速攻で
昨日 連れ合いが買って来てくれた「山になってる赤ジソ」を千切りました。
まあ.......半分行かなかったけど
明日は 朝 神社の掃除に出掛け、息子に頼まれたので車を出し
そのあと、ガムシャラに、残りの「赤ジソ退治」する予定。
うむ、この「予定」だけは「未定」には終わらすまいぞ!  ( ̄□ ̄  //

* 記憶喪失現在進行形の私の事なので
そのうち、この「虚無感」忘れて
また、いつも通りの「時間に置いてかれてアップップ」とか
おバカなブログを書き始めるこってしょう

探してみた
フロールさんが「好き」と言って下さった「目の錯覚 あなおとろしや」のヤツ。


< ↑ これが ↓ 「こう見えた!」っていう、恐ろしい「精神崩壊の図」を見せるようなヤツ ね >


本当に.....ご愛顧 深く感謝致します m(_ _)m (*´ω`*)

2012年6月13日水曜日

ライヴ行 <1−4 最終日>

6月8日(金)
祖母の遺骨を抱いた叔父によって「斎場解散」となったあと
母と妹三人で実家に向かう。
ライブまでは 約2時間半ほどを残す ゆったりとした「待ち時間」。

妹から双眼鏡を借り、「また来るよ」と言って実家をあとに
「ゆうぽうとまで 一緒に行く!」と くっ付いて来た妹と二人で
色んな話をしながら 会場まで。
「初日には 上下真っ黒なドレスや よく説明できない被り物してた人もいた」
「物品販売の列に並んでた時、後ろで盛んに『平沢は〜』と喋ってた女の子は
黒いマントを羽織ってたよ」とか

階段を登り切ったところで
「ホラ。あそこに ゴスロリさんがいるよ」と教えれば
「わーーー! すごい!! アレかぁ!!」
「アレ」を見られただけで満足 と言って 妹は帰って行った。

* 息子と私が「平沢さんという人のライヴに行く」と聞いた時
「私も行きたい!」と叫んだ妹。
「しかも 五反田じゃん!」と。

* 息子は「.....まずはCDから ですな」と呟いてたけど
妹曰く
「私は ジャズ以外 何でも聴きたい!」んだそうだ。
 「なんちゅう ガバガバ・アバウトな許容量....」と私は思ったが
息子は「そりゃあ すごい!」と感心しておった。

* 行きたいのなら....と、ツイートで知った「チケット譲ります」に
申し込んで妹の分を....と思ったのだが
肝心の妹が「ごめん....全部 仕事が入ってた....」と ( ・◇・)? ( д) ゚ ゚
早く ゆえよ
ずっと 気にしてたじゃないか..... ( ̄3 ̄`;

< ↓ 本編とは全く関係ないが、昨晩のおかず:鳥の中華風唐揚げ ....ボケとるのう 
 しかも、連れ合いが少し食べちゃったし  ( ̄¸ ̄` >


さて
ライヴに話を戻す。

さすが最終日であった。
「馬骨」さん達の かけ声 がハンパじゃない。
平沢さんの熱唱にも負けぬ位の「腹の底」からの「嬌声」もとい「声援」。
ティンパニーの荒木さんにも「あらきーーーーーー!!!!!!!」と声が踊る。

三日間通して「幕開け曲」は「ハルディン・ホテル」だったが
この最終日には 連続三曲が「立つっきゃない!?」のりのりもの だった。

22列目 という、ほぼ最後列の如き座席だった私の目には
「立ちンぼ」してる若者達の影が よく見えた。
二曲目に入り しばらくした頃には、殆どの観客が座っていたが
それでも立ち続ける影が 私の斜め前に二体。

一人は「頭頂部にちょこんと帽子を乗せたロングへヤーの
美しい影絵女性」で微動だにせず
二人目は「薄色のTシャツっぽいのを着た、瑞々しい短髪気味女性」で 
曲に合わせて色っぽく右手と腰を動かす。
カッコよかった〜〜〜 0▽0;;

総じて「皆 座っているけど 私は立つ」という「性別」、女性が殆どだった。
(別に他意はない)
 きっと、「平沢氏とワタシの二人だけの世界」にドップリ浸かっちゃうんだろうなぁ


昨日同様「一曲だけ他の曲と入れ替え」 & 「新曲を一曲披露」。
マメを送った「確率の丘」を この最終日にも聴く事ができた。
が......
どうも 照明の角度が悪かったらしく、手を顔にかざして「アピール」?
するが、一向に変化なし? ダメ??

らしく、三度も四度も繰り返して手をおかざしになり
それを「妹から借りた双眼鏡で観ていた私は ビビリが入る」くらいの
「眉間にシワ」進行形 であった.....。


最後(だったと思う、この曖昧さが何とも空し.....)のMC 
「お定まり」とも言える「馬骨」からの
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???」が、この最終日に入った。
いつものように
「『え〜〜〜〜』じゃ ない」
でサラリとかわすか?? と思いきや
「いつもとおんなじ と思うなよ〜〜」的コメントで
嬉し恥ずかしの「馬骨」嬌声。


その他、新たなギターについての「ノーコメントのためのコメント」やら
アンコールの「夢見る機械」で舞台を一周する時に、双眼鏡で見ていて
微妙に不自然な様子に視線を移したところ
「ズボンの後ろ裾が 足首まであった靴に はさまってる」のを発見 やら
三日間が三日間、それぞれの 少しだけど小さな「出来事」に
埋め尽くされておりました。


ちなみに、今回のライヴについて後日、ご本人よりツイートにて
「HPONON2555(今回のライヴ名)は
私のLive史上最もキツイ酸欠選曲の一つでありましたと報告します。
星も見えたし天女も見えた」との ご報告。
続けて
「私を長年撮り続けているカメラマンが『楽屋でヒラサわが "疲れた"と言ったのを
初めて聞いた』と言っておりました。」
そして、
「ま、墓穴掘ったということで。」 という言葉で締めくくられておりました。

私でさえ 一曲 無意識にも一緒に息継ぎなどしていたら、 目の前真っ白!になりました故
本当にお疲れ様でございました ありがとうございました
という言葉以外の 何ものもございません。
在り様が ナイ。

まだ、筋肉増強運動は、少しずつなれど 続けているのです。
平沢さんの歌をバックに。
そして、きたるライヴに備えているのです。
たとい 二時間のスタンディングであろうと、なんのその! のために。
......そうでもしなくっちゃ さみしくてさみしくて......はふっ  ( ̄▽ ̄`。。

「三日間のライヴ行」
ダラダラブログにお付き合い、ありがとうございますた! ^▽^ /

2012年6月11日月曜日

ライヴ行 <1−3−祖母の葬儀 >

6月8日(金)
この日は 朝から目一杯の仕事。
以前、連れ合いから貰った黒の半袖シャツ(ダボダボ)を着て、
仕事先から直接ライヴに向かう予定でいた私は7時過ぎに、自転車で家を出る。

ライヴ3日目のこの日は 息子も仕事なのでバイク出勤。
仕事半休もらって ライヴに行く予定になっていたから
五反田からの帰途も、仕事先のある駅で下車し バイクで帰宅する事になる。

しかし...........駅で電車が来るのを待っている間に
どうしても モヤモヤが大きくなるのを 抑え切れなくなった。
「やっぱり 顔を見られなくてもいいから、おばあちゃんとお別れをしたい」。
ちょうど、黒いシャツを着ているし、ズボンだっていつもの黒。
靴は......濃いラクダ色 だけど  ( ̄ー ̄;

親族だけで行う葬儀だ って言ってたから これでいいよ。
そう思い、電車の中から妹に 葬儀の時間と場所を訊ねるメールを出した。

授業は2時間だけ行い、残りの一時間分を「自習」にして頂いて
学校の門を飛び出す。

結局、冷静でいるようで 泡食ってた ンだろうと思う。
「まぁ................間に合わなくても その時はその時
お見舞いに行って 顔は見たし ね.........」と踏ん切りつけて 電車に揺られる事2時間。
間に合ったからよかったけど、おかしなルートで電車に乗っちゃったのだった。

結構「混んでいた」のだ、焼き場が......。
それで 祖母の「葬儀」も 時間がずれ込んで、私は祖母と対面できたという次第。

< ↓あまりにみっともなかったので、授業が始まる前の30分間で縫い縮めたシャツ。 
「こ、こんな格好で ホント、済みません....」という私に 叔父(母の一番目妹の夫)が
「いいんだよいいんだよ大丈夫だよ」と (^∞^;) >


係員さんに案内して頂いて、母達のいる場所にたどり着いたんだが
私には 悲しい気持ち 泣きたい気持ちはなかった。
若い従妹達が ハンカチで顔を拭っているのを見ても 自分は涙は出なかった。
自分でも判らない気持ち
ああ.........もう いないんだ もう 会えないんだね .... だけ。

そんな私の姿に気が付き「ああ ねえちゃん!」と駆け寄ってきた妹と一言二言
言葉を交わしていたところに「ゆみ ちゃん?」と 手を伸ばしてきた人がいた。

叔母だった。

母の二番目の妹である叔母が 私に声をかけてきて、
「あ @%子ちゃん!」と返答した私の手を取り「ゆみちゃん....!」と言って
寄り添ってきた。


母の4人の妹弟、一番上の叔母だけ「$#オバちゃん」と呼び
その下の弟・妹・弟の3人のこと、私達姉妹弟は子供の頃から「ちゃん付け」で呼んでた。

そして、私に声をかけてきたこの叔母は、若い頃の私が 年中会いに行っていた人だった。
叔母が長女を生んだ時12才だった私は、もう この小さな従妹がかわいくてかわいくて。
実家の空気に耐えられなくなる度に泊まりに行っていた「母方の実家」の代わりに
今度は この叔母の家に行くようになったのも、小さな従妹が生まれてからだった。

遊びに行くたびに オシメ替えから ミルク飲ますの(母乳じゃない) よくやってた。
夏休みに、上の叔母の住んでいた名古屋に一緒に行ったときも同じように世話を焼き
私はいつも小さな従妹を抱いていた。

後で知ったんだが 叔母は身体が弱い人で、子供を産む事ができたのは めっけもん!
だったらしい。
だから、中学生くんだりに 自分の子供を多少也とも託す事もできたのかな.....? と 
今になって思うけど.....ずいぶん信用してくれてたんだな......とも しみじみ思う。

それに、こうして 色々と経験させてくれたおかげで
私は息子を生んだ時に 看護婦さんから「まあ!抱き方が とっても上手ね!!」と
そりゃあ褒められたんだヨ (^^

私は この叔母夫婦と従妹達(二人姉妹)の住む家に、大学時代まで訪れていた。
本当に、ほんっとうにお世話になった叔母夫婦。
私達を 心底 愛しんでくれた叔母。
その叔母が 私の手をギュッッッと握り締めながら、抱え込むように私の肩を抱いた。
その時、初めて 嗚咽が喉を鳴らしたんだ。


この、小さかった従妹(上の写真 一番左)は それなりの資格をとったらしく、
ホームに入居した祖母を、週に3回程訪れては世話をしていたらしい。
年は皆が重ねて行くものだから、従妹だってそれなりの年齢にはなってるけれど
今でもいつまでも可愛い子 なんだ。
性格が とっても優しい。

多くの従妹達と 色んな話をした。
 この叔母の娘達も だけど、一番上の叔母の娘達三姉妹も かわいいんだ。

小さな頃、毎年夏休みに、母方の実家に家族ぐるみで何日か泊まるんだけど、
彼女達の来訪に合わせて合流する私に、夜になると「お願い〜 ゆみちゃん!
怖い話 して! お願い〜〜〜!!」と 毎晩毎晩せがんでくる 困ったチャン達だった。

私は中学から高校時代
彼女達は小学校低学年から高学年時代......長女(上の写真 一番右)は 
アホみたいにこまっしゃくれてて
時々 えらく意地悪い事を私にしてきてはいたけども
それを 今では「自分の過去を消したい!」くらいに後悔しとるんだとか。
それでも、今でも やっぱり かわいいよ 

母以外、みんな ある宗教の信者なので そのせいもあるか?と思う
祖母の骨を「拾う」事なく あの白い容器に納め
そして その場で「解散」 ( ・◇・)?
こんなの初めてだったけど、でも、これはこれで合理的? 簡素? で良いか 
と 思いながら、母と妹と3人で 父が留守番してる実家に向かった。のであった。

こんな年齢になってさえ 親の死 というものは悲しい。(しんどい親でなければ)
けど、慰めた私に向かって母は「あんな様子を見ていたから、諦めもついたわ」と。
意識は戻らなくとも祖母が苦しんだ何日か があったから、
母は 祖母の死を納得して受け止める事ができた
とも 言える ような気がする。

「おばあちゃん やっと おじいちゃんに会えたね
長い長い人生 お疲れ様でした 
そして 本当に ありがとうございました」

ライヴ行 <1−3>

6月7日(木)
* (確か)この日、会場に入る前に妹と交わした通話で、朝方の祖母の逝去を知る。

午前の仕事に出勤、午後の絵画教室は翌週に回したので 
1時半辺りに帰宅後は、自宅で待機。(洗濯&連れ合いの夕飯の支度など)
息子は 仕事日を変更して休みを取った。
4時半近くに家を出て、歩いて駅まで向かう。

別段 息子と並んで歩く必要はないんだが
あまりに遅い息子の歩みに、私は道ばたのクローバーの葉っぱを見たり
濃いピンクの花を鑑賞したり、のんびりと駅までの道を楽しんだ。


* 私は歩くのが早い。
小学校一年時の「通学班」の班長が男の子で(寿司屋を営んでいた家の次男坊)
滅法早歩きの少年だったのだ。
男の子ってのは あそこまで何事にも気を使わんものなのか
私は 遅れまいと必死になって 毎朝15分程の道のりを駆けるように付いて行き、
それが 私の人生の「物理的歩み」の速度を決定した。
 
2回目のライヴでは 昨日とは打って変わっての「声質の良さ」が際立った。
昨日は、目鼻立ちも定かにとらえられない距離の上に
「.....風邪でも引いちゃったか?」と思うような歌声に
正直言って ふと「別人?」という疑問さえ湧いたんだが。

曲目は昨日と順番を違え 一曲だけ入れ替えがあり、昨日とは別の新曲披露もあり。
何よりも この日の席が出来過ぎ!
なんとなんと、「5列」という 前の方の席だったのだ!0▽0
しかも、ここもまた 昨晩と同じ 通路側。
もう、「どんだけ お顔を拝めるか?」と、震えるほど楽しみだった。


はっきりと 顔の作りも些細な変化も この目で捉えることができた。
あ〜〜.............本物の 動く平沢さんだ.....と思った。

曲目によっては やはり 祖母を思い出すものもあったけど
とにかく せっかくこんな場にいられるのだから....と
またもやマメの写真を抱きながら 歌に 姿に傾倒し続ける努力をした。

途中に入るMCも(やはり すんなりとはいかぬ口調でお話のこと) 
途中のパフォーマンスも そして歌声も何もかも が
夢のよう。
今回は 有り得ないくらい身近に見ることができたのもあり
私は 右側の、ギター弾きのお兄さんにも 気を惹かれた。

MCで紹介されたティンパニーの方は P-MODEL時代のメンバーなのだが
このギター弾きのお兄さんは「PEVO 1号」という紹介のされ方....
ロボットか?

ここでの「新曲」もまた、デビューするのが楽しみな一品。

アンコールも昨晩と同じ2曲だったので もう 「当たり前!」に 立つ。

二つ目のアンコール曲で 再びトトトトト...と舞台を歩きながら、
今回は「スナップショットを一枚」のポーズに
「馬の骨」が湧く ^0^


今回もライヴ開始前後に「物品販売」していたけど
入場の時から 並ぶ気力は失せていた。
ストラップは 永遠の「憧れ」として 心の中に閉じ込めておくことにしよう。
(そだ! あとで どんなストラップだったのか調べてみよっと)

20:56とか そういう時間に 2回目も終了。
五反田で夕飯食べて帰るらしい息子に「じゃあね」と挨拶をして 
私はトットと五反田駅に向かって帰宅の途。

駅から自宅まで歩き、10時半頃 到着。
「ただいま〜」と呟きながら玄関を開けようとした時、息子の着信メールに気付く。
見れば「今 大宮 出まーーす」と (゚Д゚)!?
ハフッ すぐに車を出さにゃいかんな と 玄関に飛び込んで車のキーを取り、 お迎え。
なんて 優しい母 なのだ!

明日は、1時半予定の祖母の葬儀がある。
「来なくていい」とは言われたけれど......と
モヤモヤする気持ちを抑えて 明日の支度をして寝る。

以下 To be continued・・・

ライヴ行 <1−2>

おどろおどろしいBMが流れる中
今か今かと 静かに待ち受ける「有象無象」の諸君、もとい「馬の骨」の諸君達。
「この場所からだと、顔の細かい表情は判らんだろうなあ」と思いつつ じっと待つ。

と、照明が変わった!
ピキ〜〜〜〜〜〜ン!!! と緊張が走る場内

まず ティンパニーのところに「人物その1」が登場。
割れんばかりの拍手に、アホな私も拍手をしながら
「...え....この人 が ひらさわ さん....??」( ・◇・;)?
「変だな こんなにハゲてたっけ...?? 」
「おかしいな なんか 背も高過ぎるみたいだし 妙にやつれてるし....」=" =;; ??
「やっぱ 顔も 違うみたいだが....」

そこに、再び活性化する拍手。
ふと見ると、右側の、エレキが置いてあったステージに「人物その2」登場。
なんてったってアホな私は「......この人 違うよね」
「こんな ガタイよくなかったハズ.....」(-`ω- ;;


「うむむ じぶんは いったい だれのなにを みに ここにきた?」
と思っていたら
ついに拍手が割れる。
雄叫びのような歓声と はじけとんだ拍手。
今までの比じゃあ ないのだ。

うにゃ!? と思って 手作りレーザーハープが置かれている真ん中を見たが 何もなく
左ステージ 右ステージと繰り返し確認し
再び 中央に目を向けたら........いた  いらっしゃいました あのお方が。

しかし....................あまりの小ささに 度肝を抜かれた。
機器に埋もれるようにして お顔が そこに在った。


いつもはDVDで観てるもんだから、機器は平沢さんの腰より少し上 くらい。
だが、今回は遥か彼方から観たために こんな具合になっちゃったんだろう。

弁護 じゃあないが、一応 言っときます
あの方は 別に 小さくはない。
私より ずっと背は高い です。
163.....か そのくらいはある という話です。
ただ、上記の事に加え、「登場人物その1」と「登場人物その2」の方々の背が
高かったので、平沢さんが より小柄に見えたのだろう と思うわけです。

それにしても、つくづく自分はバカだ と再々認識。
主役が端っこに登場してどうすんだよ
主役は真ん中だろうが  ( ̄△ ̄; なんで ここまで アホなのか

ドコドコズンズンズンドコドコ!!!!と、内臓全般揺さぶられるような音響の中
突然 平沢さんが腹の底から「はっっっっ!」。
この「一声」で 何を歌われるか皆は瞬時に理解し、狂喜乱舞の始まりとなる。


全席指定だから 立たないのが まあ当たり前 マナー なんだが
のっけからこれじゃあ 若い人に「立つな!」ッつう方が 酷だ
そういう曲から このライヴは始まりました。
(昨今、そこまで遠慮深い思慮深い若者ばかりじゃないけど)

序盤は 若い頃の曲で飾られ、途中 「馬の骨」期待の
「タルボ持って演奏しながら客席近くまで来る」パフォーマンス入り。

そして、一昨年亡くなられた今敏監督を偲ぶかのように
「サイレン」が歌われました。
 もうじき監督の命日がやってくるんだな と思いながら
改めて しみじみと拝聴しました。

11曲目 歌い終わった後、平沢さんが「新曲紹介」し始めたんだが......

この人、あれだけ語句を駆使した歌を作り歌うのに
どうして トークはつっかえるんだろ......
私が 人様の前で話す時「しどろもどろになる」のは、
我の人となりを思えば当たり前なんだけど
あのような世界にいるこの人が こういう具合に「かむ」っていうのが 
ちょっとだけ不思議で そこはかとなく面白い。

新曲は 何言ってんだかサッパリ判らなかったけど
(なんせ バックミュージックが大音響なので) 
今から 発売日が待ち遠しい! というような曲でした。 ワクワク♪ p(^▽^)q

その新曲を披露なさったあとの 二つ目
14曲目に 私は 不覚にも 泣きました。


イントロが始まった途端 身体が凍り付いたようになり
心の奥底から マグマのように 様々な映像や思いが吹き上げてきて
私は 涙をこらえること できませんでした。
ただ、イラストみたく おおっぴらには泣かなかった よ ? (^∀^*)ゞ
描いたような心情で、持参したマメの写真を抱き 顔を覆ってました。

昨年の6月17日 マメが独りで逝った金曜の夜 
「私のネコを明日 平沢さんの歌で 送りたいのです。
勝手ながら、この三曲をお貸しください」とツイートして
「Caravan」「地球ネコ」そして 今回歌われた「確率の丘」で送ったのでした。

涙は どうも、止めようもなく しばらく溢れ続け
しかし、このままじゃ せっかくのライヴを「観る事」あたわぬ と
いちいち眼鏡を外しちゃ 必死で涙を拭い続けたのです。

その次の曲がまた、私の大好きな「庭師KING」でありまして。
この辺りで ちょっと 心臓がチョチョ切れそうになりましたかね ハイ。


16曲目も好きですが 割愛。

17曲目は 漫画映画のための楽曲「Aria」
これは、漫画家の三浦建太郎さんの「ベルセルク」のためのものです。
三浦さんは平沢さんの「狂信者」など言われるファンらしく
自分の漫画が映画化される折りに どうしても平沢さんにお願いしたい!と
切望なさったようで。

そして平沢さんが作詞作曲した この「Aria」は
「先入観を植え付けたくない」という意図のもと
「ヒラサワ語」なる「言葉(?)」の羅列で謳われておるのです。

他の曲にも随所見られますが
平沢さんの高域音声存分な歌ですかね。


最後、18曲目が またまたまた「これ 立つしかない...????? 」な曲。
リズム感バリバリで 個人的には歌詞も大好きな歌。

その最後の「エピローグ」的な辺りで 歌詞を口にしながら
トタトタ スルスル、あれよあれよと言う間に退場なさる平沢氏。 ( ・◇・)?

で、もちろん 場内は「アンコール要請」の手ばたきの渦。
で、もちろん アンコール曲は 立つしかない曲 2曲。


アンコール曲 二曲目には 「馬の骨」さん達が驚喜するようなアドリブ込み。



あっさりと 足早に舞台から姿を消す平沢さん
そういう彼のスタンスに 若い「馬の骨」達は しびれるんでしょうね ^ー^

その後、息子と私は そそくさと「物品販売」に並んで
残っていた「タオル」二枚(息子のと私の)「Tシャツ」一枚(私の)を やっと購入。
ストラップは 残念ながら、「販売開始15分で売り切れ」た とか.....  ( ̄¸ ̄

息子が「食事をしたい」というので 付き合ったのが 五反田の「インドカレー店」。
自分の分一皿注文したあと
「私はお腹は空いてないから。これだけでいいからね」って言うのに
「でも、少しなら食べるだろう」と
勝手に憶測した息子が注文した一皿、結局 持ち帰りとなりました。
人の言葉 信じろ!  ヽ(`皿´)ノ

帰宅は 結局 12時を過ぎ。
「食事したい」のと「腹 減らん」のと二種類いるから
「明日は別々に行動しよう」っつう事にして 就寝。

以下 To be continued・・・

2012年6月10日日曜日

ライヴ行 <1−1>

6月6日 水曜日
ついにライヴ当日! ( ̄ー ̄`=3 

本来なら 朝から5時頃まで仕事なのだが
「文化祭代休」のため 仕事は休み。
何という 幸い!
何という 好機!
(仕事があっても『ゴメンネゴメンネ』と言いながら 
部活見ないで4時過ぎには出る予定でいたが)

日頃の自分の行いに関し
「なんら 後ろめたい事はしておらぬ!」と胸は張れるが
「どこを取っても 100%問題ナシ!完璧!!」とは言えないので
「日頃の行いが良いから 神様が何とかしてくれた」とは思わなかった(つもり)。
が、有り難かった。

息子もたまたま仕事休み。
天気の方も これまた幸いな事に雨ではなかったので
「まず駅まで歩いて....」と思っていたら「タクシー頼むから」と。
うむむ.......歩くのが苦痛になるほど 身体が重くなっちゃったのか..... ( ̄¸ ̄;

 ゆうぽうと に着いたのは 6時5分前くらい。
頭に何か乗せてるゴスロリ数種、アジアンテイストのロングワンピース数種、
派手なかぶり物にマント などなど、
以前と同じように なかなか面白いファッション風景。
蠢いてる人々の向こうに入場する為の列ができていたので、それに合流。
中に入って真っ先に目に付いたのは、人だかり山盛りの「物品販売」コーナー。

「物品販売」には 既に2列並びの長蛇の列。
ストラップが安い(1500円)から これ 買いたいねえ と息子と話してはいたんだが
列の最後尾は 空調の効いてない3階まで伸びていて、
30分並んでいても まだ1階まで行かぬ。
「.....こりゃ 買えないまま 始まっちゃうな....」と汗を拭き拭き考えてたら
息子の隣りに並んでいた若い男の子がオズオズと話しかけてきた。

若男子「あのぉ....、一度 席に行かなきゃ マズいでしょうか....?」
^▽^ かわいいなぁ!
息「いや、それは大丈夫だと思いますよ〜」
私「うん、全席指定だから 大丈夫だと思います ニコニコ」
若男子「あ.....ハイ(ホッッッ)」 
>▽< かわいいなぁ!

やっと2階まで降りたのだが、
私がトイレから戻るところで「ライヴ後も販売するから、はよ 席につけ!」
というアナウンスがあり、私はトットと席に着き。
粘っていた息子も しばらくしてから諦め顔でやってきた。

座りながら

息「話しかけてきた子 いたでしょ? あの子、買えるのが2000円だけなんだって」
私「 ( ・◇・`)? 」
息「なんかね、チケット買ったので 物品買えるお金がそれだけしかないんだって」
私&息「か、か、かわいそうだねえ......」
息「席は 4列目 とか言ってた」
私「よ、4列目!?.....(・ω・;)」

4列目....... どんだけ お顔が 拝めるんだろ  ( ̄¸ ̄` 
と思いながら会場を見渡す。

席は 一番後ろが「24列」....... だったかな?
で、私は19列目の通路側だった。
左側が空いているので ラッキーー! とは思ったけど(右側は息子なので
ギューギュー! ⊂彡☆))Д´)
ゆうぽうと って 席が後ろに行くにつれ少しずつ迫り上がっているので、
大変に視界がよろしい。



* 前回のライヴで 前列から4〜5列目くらいにいたのだが
なんせ 皆さん、背がお高い。
スラリ長身の「馬の骨」さん達に囲まれた私は 平沢さんの「左顔面 上部半分」
要するに「顔面の 1/4」しか拝めなかったのであった。
しかも、背伸びしたきり 首筋を両手で抱えてさえも やっと見えるか見えないか?......
という有様。

* で、後日のツイートで 図々しくも平沢さんに対し
「カクカクシカジカ、で、次は、背の順ライヴ ってダメですかね?」
的な事を書いたのだが。
もちろん、それを平沢さんがお読みになってこの会場を選択してくれた 
とは思ってないけど(マジ)
それでも、この「迫り上がる客席」には 感謝した。

To be continued ・・・

2012年6月9日土曜日

結果報告(アリ・カエル・サナギの抜け殻付き)

「3日間ライヴ」行って参りました。
その「開催2日目」の「朝方3時頃に 祖母が逝った」こと
妹からの 夜のメールで知りました。

長くなると思うので、幾つかに分割してブログ記入したいと考えています。
ですから、コメントをお考えくださった方は
最後の「〆ブログ」に ご記入くだされば....と思います。
なんせ、「趣味」のオンパレード だから ^^;

< ↓ 働くアリ >


 < ↓ ボケてるけど、「休むカエル」 >


< ↓ 誰かが出て行った「仮住まい」のあと >



経験がなかったので 甘い考えで「3日間なら オッシャ!」とか思ってたけど
結構疲れるものですね。
泣いたり 喚いたり 身体を動かし手を振り上げ....という2時間を過ごし
1日目は12時過ぎ
2日目は 10時半頃
3日目も10時過ぎ....と
帰宅する頃には 身体が「ゲンナリ〜」と声をあげ。

台所の洗い物して 風呂に入るのが精一杯で
1日目 2日目は、「嬉し恥ずかし」の「バタンキュ〜〜」に近いものがありました。

世の サラリーマン&サラリーウーマン様達のご苦労 というか
日々の生活を思うと、頭が下ります。

しかし、3日目は 終わった寂しさも加わったのか
何だか すぐには寝付けませんでした。
けど、「祭りのあとの.....」とは 決して言わん。
来年
来年が まだ ある! と小さな声で自分に言い聞かせ
来る(はずの)「スタンディング・ライヴ」にそなえ
チマチマとした筋肉増強体操 は続けよう と
決意も新たにしておるところです。

< ↓ いよいよ実になる 赤い甘いベリー >

2012年6月5日火曜日

色んな不思議 と ワンコ

チャタやらマメの写真を載せていて
先日来 ふざけて「地球ネコ」とか書いてた。

で、こないだ 何気なく「地球ネコ」で画像を見てたら
ありゃりゃ!? チャタとマメが出てきているではないか!?
ほんっとうに 驚いた。
そして、ますます ネット というものの 怖さ というか
不可思議さを思い知った。(まだまだ 怖さを思い知ってはいない とは思うが)

けど、「地球イヌ」で ブルは全然出て来ないし
なぜか 「イヌ」のところのはずなのに 俯いたマメ がいるし。
「地球ネコ」も ある夜はあった写真が いつの間にか消えてて
「あ、消えた....」と思った翌日に また 出現してたり
或いは 全く出てなかったり と
私の頭は 不思議が一杯で、こんぐらがってる状態なのでアル。
「指輪物語 の本の前に どっかりと座り込むチャタ」は
二度消えて、それから 出て来ない。

さて イヌの話。
一番最初に飼っていたのは「ガオ」という名の
真っ黒いイヌだった。
越してきてしばらくした頃、連れ合いが「イヌでも飼いたいねえ」と。
息子を連れて散歩してたら、とある家の門前に「イヌ あげます」という札が。

それで、「見るだけでも 見てみようか?」と息子に言って
「見るだけ.....」と思いながらも それだけじゃ なんだか済まなくなっちゃって
そのまま 抱いて連れ帰った。

一ヶ月ちょい くらいの月齢だったかなあ
だから 足元はまだまだヨロヨロしてたし 甘えん坊だったし。
ただ、親が大きかったせいで、そんな月齢でも 身体は割合に大きかったと思う。

たまたま 遊びにきていた母が、大きいくせにフラフラヨタヨタ歩く姿を見て
帰宅してから妹に「かわいそうだけど、きっと あのワンちゃんは育たないよ」と
しんみりした顔で言ったそうだ。

「ガオ」という名前は
その頃 息子がよく観ていた NHKの教育番組「低学年 国語」のキャラ
「オオカミのガオ君と ネコのミーちゃん」から 頂いた。
この名前は 大きくなったこの子に ピッタリだったなぁ
とても精悍な姿態の犬だった。
キャンプに連れて行くと、必ず川に飛び込んで
ガブガブ水をくわえながら 川の中を走り回ってた。

息子の事は きっと「自分の弟分」と思っていたんだな。
遊びながら よく息子を押し倒してね。
コケて「お兄ちゃんに何するんだ!」と 泣きながら怒る息子のホッペを
 ペロペロ舐めていたよ。

ガオは 私の無知のせいで 5才かそこらで フィラリアで死んでしまった。
私の誕生日の前日の朝、小屋の中で冷たくなってた。
その前の日、冬にしては暖かな陽が射してた午後
ひなたぼっこして ユラユラ 少しだけ身体が揺れてたガオ君の姿
今でも 目に焼き付いている。
そして、今でも「ごめんね」と 思う。

次に飼ったのは 知り合いから「イヌが生まれたから よければ見に来ない?」
と言われ、この時も「見るだけ」と思ってたんだが.....
息子が抱いたまま「連れて帰ろう!」っつうんで そのまま 我が家のワンコに。
名前は「ガル」
「え......ガル??」ガオと似てるじゃん........
この頃の息子は ほんっとに いい加減 っつうか 
インスピレーションで生きてた っつうか。

この ガル君は、年中 家出しちゃあ 土手まで一匹で遊びに行ってたのだ。
それで 木戸を作ったんだけど、強い風で木戸が開いちゃったんだなぁ。
朝、庭にいないので探し回ったんだけど 見つからず
仕方ない、とりあえず生ゴミを捨てに行こう.......と 捨てに行き、戻ってきたところで
まだ 枯れた雑草が残る 乾いた田んぼの中に 横たわってるガルを見つけたのだった。

開いた木戸から飛び出して たまたま あの細い農道を走ってきた車にはねられたのか
或いは 土手遊びから戻ってきたところをはねられたのか
とにかく ぶつかっちゃったんだろうなぁ
たった 一年ちょっとくらいしか 生きられなかったガル君

そのあと、11月に息子が土手で ブルを見つける.............という 流れ。

ネコ、犬、それ以外の生き物達、一緒に生活してきた
或いは 生きる道程ですれ違った全ての子達を 忘れられない。
本当に、みんなみんな それぞれの性格で それぞれの在り方で
自分の命を生きた。
思い出すのは どうしても悲しみが伴うから、すぐに頭を振ってしまうけど....
ガオ君が逝ったとき、私は「自分も ガオ君のように 生きよう.....」と思ったんだ。

ちと 感傷的になっちまったネ (^∞^;)
それでは ガオ君の写真を 観て頂きます。
ガル君、キミの写真は ゴメン、うちには ないのだけれど
今度 実家に行った時に、デジカメに写して 貰って来るからね

< ↓ ガオ君が、どこからか 遊びにきた小さな三毛の頭をくわえてるとこ。
小さな三毛は じ〜〜〜っとして 微動だにしなかった。 >


< ↓ ブル >


< ↓ すっっごい 口元 でしょ? >



< ↓ いったん寝ると、何しても 起きなかった 小さなブル >

2012年6月1日金曜日

「地球ネコ」だけじゃなく

「地球イヌ」も 観て下さい。

一昨年 16才で 旅に出たブル。

19年前に 連れ合いと息子が 土手から拾ってきた赤ちゃんワンコ。
生まれてすぐに 捨てられた模様。

育つかどうか 心配だったけど
一生懸命 ミルクあげました。
昔の「日記」の時に 一部載せたものもありますが.....

<↓ 以下「地球イヌ」ブル。見に来た友達と その娘さんに
「うっわ〜〜!不細工!!! >▽<」と笑われました..... >


< ↓ へその緒が取れておらず。動き回るのでこすれてしまい 血がにじんだので
バンドエイド貼ってる お腹 です >


< ↓ .....どこにもピントがあってない... >


< ↓ 息子が保育園で使っていた「手作り」の箱が 赤ちゃん時代のブルの「おうち」
でした >


< ↓ でもって、こんなに大きくなりました〜 
そして、この頃に「ブル」という名を付けたのでした >

< 与作 >

< ↓ でもって、ついつい載せてしまう「地球ネコ」チャタの子供時代 >